忙中閑あり [処世]
今人率( おおむ )ね口に多忙を説く。
其の為する所を見るに、実事を整頓するもの十に一二。
閑事を料理するもの十に八九。
また閑事認めて以って実事と為す。
宜( むべ )なり其の多忙なるや。
志ある者誤って此窠( このか )を踏むこと勿( なか )れ
「 言志録 」第三一条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P27
いまどきの人は、口を開けば忙しいという。しかし、実際に必要なことをしているのは、十のうちの一か二である。
やらなくていい仕事が十のうち八か九、しかも、やらなくていい仕事を必要な仕事と思っているのだから、これでは忙しいのも当然である。
本当の大事を志す人は、このような無駄な考えに陥ってはならない。
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人生太( はなは )だ閒( かん )なれば、則ち別念窃( ひそか )に生じ、
太だ忙なれば、真性現れず。
故に士君子は、心身の憂いを抱かざるべからず、
また風月の趣に耽らざるべからず。
洪自誠
守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)
菜根譚の名言 ベスト100
PHP研究所 (2007/7/14)
P77
あまり暇がありすぎても、つまらない雑念が頭をもたげてくるし、
あまりに忙しければ、今度は本来の自分を見失ってしまう。
してみると君子たるもの、一面では心身の苦労はあったほうがよいし、
また一面では、風流を楽しむことも忘れてはならない。
「 小人閒居して不善をなす 」 大学
私は近来つくずく思う。現代はあまり忙しすぎる。そうして、忙しいばかりでなく、皆少しのぼせている気味がある。
のぼせているときは、つい誤る。「世間何人か忙裏錯過せざる」だ。
神経がいらいらするものであるから、つい人とも紛争する。さなきだに殺伐な世の中をますます荒ませる。
~中略~
多忙というものを静かに考えると実につまらぬことが多い。しかし、また人間は多忙なくらいでなければならぬ。たた忙人ほど閑を要する。
元来、閑は―これが大事なところだ―忙裏(忙しい)に得るを以て最も妙とする。古人の言葉にこういうのがある。
得ㇾ閑多事ノ外。知ㇾ足少年ノ中。 閑を得る多事の外、足るを知る少年の中。
忙しいから閑を見つける。それが本当の閑だ。世間が相手にしてくれぬような閑はだめだ。
また「足るを知る」ということは、年を取ってぼけてしまってからではつまらぬ。若いうちにちゃんと知らねばならぬ。
安岡正篤
運命を開く―人間学講話
プレジデント社 (1986/11)
P113
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P92
昔、元寇のとき、執権北条時宗は、無学祖元(むがくそげん)のもとへ馳せ参じ、一大事到来、と告げました。
つまり、一大事件が起きました、と告げたのです。もともと「大事到来」とは、われわれのほうでは、死ぬときのことばです。この世に死ほどの大事はない。その大事、すなわち死が迫ってきた、というのが大事到来です。
ですから時宗は、無学祖元に、いま自分は生きるか死ぬかの瀬戸ぎわに立たされました。
いや、この日本という国が生きるか死ぬかの一大事件が勃発しました、と告げたのであります。
そのとき、祖元禅師が時宗に与えたことばが、「妄想することなかれ」という有名なことばです。
くどくどしく物を考えたり、迷ったり、混乱してはならない。つまり、混迷をさらに混迷させるようなことを考えるバカがあるか、と祖元禅師は言ったのです。
それならばどうすればよいのですか、と問う時宗に、祖元禅師は、ただ「座禅せよ」とだけ答えた。「いや、私には政務があります。とても禅師のように、朝から晩まで座禅して、ゆっくりと物を考えている暇などございません」と言う時宗に、祖元禅師はさらに答えた。「座禅工夫は、その政務の中にあり」と。
P94
それにしても、このごろはみんなが忙しい忙しいと言う。おかしなことです。ほんとうは、昔のほうが忙しくて、いまは暇でなければならないはずです。交通の発達や機械化などによって、時間は急速に短縮されたし、何をするにも以前よりは便利になったはずなのです。それが口を開けば、忙しい、忙しいと言う。これは大きな矛盾です。
~中略~
しかしこの矛盾は、おそらく解決できないでしょう。能率的に事を運ぼうとすれば、いよいよもって忙しくなる。それは宿命といってもよいのです。ですから、その中で時間をつくろうとするなら、これは最終的には自己の決断によるしかありません。
なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)
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