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天地自然の理 [哲学]

草木纔( わずか )に零落すれば、便ち萌頴( えい )を根底に露す。


時序凝寒と雖( いえど )も、終( つい )に陽気を飛灰( ひかい )に回( かえ )す。


粛殺の中に、生々の意あり、常にこれが主となる。


即ちこれ以って天地の心を見るべし。


            洪自誠

             守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)

            菜根譚の名言 ベスト100

            PHP研究所 (2007/7/14)

            P151

3484095山荘 天水

草木が枯れ出すこれ、根もとにはすでに新しい芽生えが始まっている。
凍てつく寒さが来れば、陽気の訪れも遠くない。
ものみな枯れはてたなかにも、常に生き生きとした生命が宿っている。
これこそが自然の心にほかならない。

衰颯( すいさつ )の景象は、就( すなわ )ち盛満の中に在り。


発生の機緘( きかん )は、即ち零落の内に在り。


故に君子は安きに居りては、宜しく一心を操( と )りて以って患( わざわい )を慮( おもんばか )るべく、


変に処しては、当に百忍を堅くして以って成るを図るべし。


                洪自誠 

                守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)

                菜根譚の名言 ベスト100

                 PHP研究所 (2007/7/14)

                P207

下り坂に向かう兆しは最盛期に現れ、新しいものの胎動は衰退の極に生じる。
順調な時はいっそう気持ちを引き締めて異変に備え、難関にさしかかったときはひたすらに耐え忍んで初志を貫徹しなければならない。

菜根譚の名言 ベスト100

菜根譚の名言 ベスト100

  • 作者: 守屋 洋
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2007/07/14
  • メディア: 新書


 

  天理にかなうものは必ず興る、策智を用いてはならない。

横井小楠―維新の青写真を描いた男
徳永 洋 (著)
新潮社 (2005/01)
P70

横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書)

横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書)

  • 作者: 徳永 洋
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/01/01
  • メディア: 新書


P93
「日本書紀」の「神代巻(じんだいのまき)には、(伊弉諾(いざなぎ)が死んで黄泉の国へ行った亡妻の伊弉冉(いざなみ)を訪ね、その腐敗したさまを目にして驚いて逃げようとすると追いかけられ、この世とあの世の境界の黄泉平坂(よもつひらさか)までたどり着いたときに)「伊弉冉(いざなみ)が「私は、あなたが統治している民千人を殺す」と口走ると、伊弉諾(いざなぎ)は「それなら、私は民に千五百人を生ませよう」と応じた」(中略)と書かれている。
 伊弉諾、伊弉冉の両神は陰陽の神であり、天と地の間には「生む」と「殺す」の二つが存在しているということを知らないといけない。今日、何をするにも、この道理を手本にしている。
万物は「一理」(一つの道理)で貫かれており、それらの間には「軽重」(優勝劣敗)とでも呼ぶべき序列が存在する。その序列を崩さないことが大事である。天地の間で起きているさまざまな出来事や現象は、そういった道理で見なければならない。
つまり、強いものが勝ち、弱い者が負けるのは、自然の道理だということなのだ。
 身近な例で知ろうとするなら、鳥獣を観察することだ。猛禽(もうきん)類の鷲(わし)や熊鷹(くまたか)は、いろいろな鳥だけでなく家畜も襲って食べる。また鵜(う)や鷺(さぎ)は、魚などを取って食べる。 ~中略~ 
こうした行為を「殺生」と見るか、「天道流行(てんとうりゅうこう)」(天の道理が行われている)と見るか。
 私がいいたいのは、宗教の戒律も天の道理(天理)を知らないと保たれないということだ。

P95
 天の道理とは、万物を生み、生まれたものが別の生まれたものを養い、あるいは生まれたものが別に生まれたものを食べてしまうことである。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)

P25
 三 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合わされ、組み合わされずにはいない。

すべてはかしこから流れ出るのである。さらにまた必然ということもあり、全宇宙―君はその宇宙の一部なのだ―の利益ということもある。
しかし自然のあらゆる部分にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである。
宇宙を保存するのは元素の変化であり、またこれらによって構成されるものの変化である。もし以上が信条(ドグマ)であるとするならば、これをもって自ら足れりとせよ。書物にたいする君の渇きは捨てるがいい。そのためにぶつぶついいながら死ぬことのないように、かえって快活に、真実に、そして心から神々に感謝しつつ死ぬことができるように。


P93
 一 普遍的物質は従順にして柔靱(じゅうじん)である。これを支配する理性はなんら悪事を働く動機を自分自身の中に蔵していない。
なぜならそれは悪意をいだかず、悪事を働はず、何ものもそれによって損なわれない。万物はこの理性に従って生成し、完成する。


P128
 四一 「たとえ私と私の二人の子供が神々から見棄てられたとしても、これにもまた道理があるのだ(38)。」

マルクス・アウレーリウス 自省録
神谷 美恵子 (著)
岩波書店 (2007/2/16)


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