我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり [倫理]
人は須( すべか )らく自らを省察すべし。
「 天は何の故にか我が身を生出( うみいだ )し、我をして果たして何の用にか共せしむる。
我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり。
天の役に共せずんば、天の咎( とが )必ず至らむ」。
省察して此に到れば即ち我が身の苟( いやし )くも生( い )くベからざるを知( し )らむ。
「言志録」第一〇条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P17
私は眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
私は目覚め気づく、
生きることは義務だと。
私は働く―すると、ごらん、
義務はよろこびだった。
タゴール(Rabindranath Tagore(一八六一~一九四一)。インドの詩人・小説家・哲学者。宗教的な抒情詩をベンガル語で書いた。一九三一年ノーベル賞受賞。
そういうわけで、生きるということは、ある意味で義務であり、たったひとつの重大な責務なのです。たしかに人生にはまたよろこびもありますが、そのよろこびを得ようと努めることはできません。よろこびそのものを「欲する」ことはできません。よろこびはおのずと湧くものなのです。帰結が出てくるように、おのずと湧くのです。
しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。
しあわせとは、タゴールの詩で義務といわれているものを果たした結果なのです。
~中略~
いずれんしましても、しあわせというものは思いがけず手に入るものにすぎず、けっして追い求められないものであるわけですから、しあわせを得ようとすれば、いつも失敗することになるのです。
それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
P24
P173
「この各個人がもっている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、―意識されれば―人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。
もっている仕事、あるいは待っている愛する人間、に対してもっている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することが決してできないのである。彼はまさに彼の存在の「何故〔理由・根拠〕を知っているのであり、―従ってまた「殆どいかなる如何に〔苦しみの状態〕」にも耐え得るのである」
(「夜と霧」(フランクル著作集1、みすず書房、一九六一―一八八)。
解説 山田 邦男
七 人に助けてもらうことを恥ずるな。なぜなら君は兵士が城砦を闘い取るときのように、課せられた仕事を果す義務があるのだ。
もし君が足が不自由であって、城砦を一人では昇ることができず、ほかの人の助けを借りればそれができるとしたらどうするか。
マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P118
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