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明日は無いかも [人生]

明日ありと思う心の仇桜


夜半に嵐の吹かぬものかは


       親鸞聖人


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P245

1927294本願寺

言志四録

日日時時を勤むべき

学道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ。ただ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり。

~中略~
身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思は無道心のいたす処なり。
四大和合の身は誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。

~中略~
病を治せんと営むほどに除かずして増気し苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に行道せんと思ふべし。
強き痛みを受けては尚を重くならざるさきにと思ふべし。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P136

永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。

正法眼蔵随聞記改版


P197
今日は平成○年○月○日。この日は地球における私にとって、かけがえのないたった一日です。
だから今日はニコニコして暮らしましょう
 淀川長治

P280
「徒然草」の著者の吉田兼好が法師が、死についてこのようなことをいっています。
人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆへなり。死を恐れざるにあらず、死の近きことを忘るるなり。
~中略~

次の和歌は、平安初期の有名な美男子で、いつもプレイボーイとして名前があがる、在原業平の辞世の句だといわれています。
ついにゆく道とはかねてききしかどきのふけふとは思はざりしを 「古今集」

松原 泰道 (著)
人生百年を生ききる
PHP研究所 (2004/08)

人生百年を生ききる


「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのうきょうとは思はざりしを」
 これは「今昔和歌集」にも「大和物語」にも収録されている。もちろん、「伊勢物語」にもあって、
「昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ・・・」と書いて、さながら辞世の歌のように扱っている。
~中略~
 業平の死んだのが元慶四年(八八〇)五月二十八日。享年五十五.調べてみれば、参議昇進を目前にしながらの死。
後悔というよりも無念の気持ちがこめられているようである。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P38


P233
[第九十二段] ある人が弓を射ることを稽古するのに、二本の矢を手にかいこんで、的に向かった。
先生が言うには、「やりはじめの者は、二本の矢を持ってはならぬ。後の矢を頼みにして、初めの矢にいい加減な気持ちがある。射るごとに、後の矢はなく、いつでもこの矢に中(あた)りを決しようと思え。」と教えた。たった二本の矢のこと、師の前で一本をおろそかにしようと思うような気持ちがあろうか。
おこたりの心持は、自分では気が付いていないけれども、師匠にはそれがよく判る。
この弓射る教訓は、万事に通ずることだ。
仏道修行をする人は、夕にはあしあたの朝があるからと思い、また朝には夕があるからと思って、後でもう一度ゆっくり修行しようと心づもりをしている。
いわんや一瞬間のごく短い時間のうちに、怠りの心持があることなど、気がつこうか。どうして、いま現在のうちに、決行すべきことを、直ちにやることが甚だ難しいのであるか。

P240
[第百八段]ちょっとの時間を惜しむ人はいない。
~中略~
それゆえ、仏道修行を志す者は、遠い先の月日を惜しまぬがよろしい。ただ目の前の短い僅かの時間が、無駄に過ぎてゆくのを惜しむことだ。
もし、誰かがやって来て、お前の命は明日限りだと、予告したとすれば、今日一日の暮れる間、何を楽しみ、何をやれるであろうか。
われらが生きている今日という日も、どうして、明日死ぬと言われた場合と違うことがあろう。
~後略

P305
[第二百四十一] 前略~
生きている間に多くのことを成し遂げてから、心静かに仏道を修めようと思っているうちに、病気にかかって、死の門に臨んだ時、願望は一つも成就せず、ふがいなく思われて、年来の怠りを悔い改め、この度もし幸に回復して命をとりとめたならば、夜を日についで、あのこともこのこともせっせと成就しようと、願を起こすようだけれど、またそのまま重くなってしまうと、正体もなくとり乱して死んでしまう。
世間にはこの類の人間ばかりのようだ。

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)


健康だった私が突然脳梗塞で倒れたのは、昨年(二〇〇一年)の五月の連休の直前であった。右半身の自由を失い、字が書けなくなった。喉の麻痺のため、発音も発声もできない、文字通り沈黙の世界に落ちたのは。
それがみなオール・ザ・サッドンだった。
 そればかりではなかった。喉の麻痺は、たとえ流動物であろうと食物を飲み込むことを不可能にした。どんなに餓えていても、喉が火のように渇いていても、一椀の粥、一滴の水も飲めない、まるで餓鬼のような生活が待っていた。
 それから一年。物を飲み込むことは、だいぶできるようになったが、依然として声は出ない。右麻痺は完全に固定してしまった。
~中略~

 その日を境にして、私は別の世界に行ってしまったようだ。時間の単位が違ってしまった。切れ目のない灰色の時間が半直線的に続いている。その日から、何もかもが変わってしまったのだ。
 その前日の一齣でさえ今とは違う。風景には色彩がついていた。あたりは音で彩られていた。私は何気なく赤葡萄酒を飲んでいる。軽やかに話しかけ、無頓着に笑っている。あの顔は紛れもない嘗っての私のものだ。懐かしくて涙がでそうだ。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P112
 

 

 死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
「力への意志」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
051


P208
 まだ若い友人や知人の中にも病気や事故で亡くなる人がいる。やはり、人生とは不条理である。まじめにコツコツ他人のために生きてきたような友人や知人に限って先に逝ってしまう。「なんでこんな誠意の塊のような若い人が早く逝ってしまい、エゴの塊のようで理不尽な言動を繰り返す年輩者がピンピンしているのか」と、切なくなることがある。

P220
 そして何より、人生は不条理なものだと認識すること。不条理というより、あなたの都合のいいようにできていないということだ。
これからは未曽有の変化が加速し、ますます不条理になっていくかもしれない。ただし、最初から不条理だと思っていれば腹も立たない。
その中で結果を出している人は、私たちに見えないところでコツコツと淡々と努力を積み重ねて実績を築いている可能性が高い。他人を見て一喜一憂するのは本当に無駄だ。それより、自分の人生を、この貴重な宝物のような人生を、大事に、一喜一憂することなく淡々と、カッとしてアホと戦たりしないようにして、使い切っていこうではないか!

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)


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