文明の再生 [日本(人)]
戦後の日本が深い考えもなく中味はもちろん、「形」までもあっさり捨て去ってしまったが、
実はいまになって「愚かなことをした」、と多くの人が思い始めている。
文明には「形」だけでも残しておけば、いつでも再生する特性があるのに、
戦後の日本人はそうした深い文明観を持ち合わせてなかった
中西 輝政 (著)
なぜ国家は衰亡するのか
PHP研究所 (1998/10)
P150
養老 孟司
日本では、首から下の訓練を長年やってきたのです。それが修行であり、いわゆる「道」で、その結果として出来上がったのが「型」です。
それを僕は身体表現だと言いました。身体表現と対になっているのが、言語表現です。昔はこの二つがうまくかみ合っていました。侍はそれを文武両道といいました。
ところが、しだいに日本人は身体表現のほうを切り捨ててしまったので、それと対になっているはずの言語だけがその分ボワーッと広がってしまいました。
~中略~
日本人がみっともないと言われ出したのは戦後になってからのことです。それは先ほども申し上げたように、型がなくなってしまったからだと思います。
要するにわれわれは、身体表現のほうを意識化してこなかった。江戸時代までに、あまりにも型を精緻に組んでしまっったので、そういうものは封建制の代表のように言われました。そして、それを支えていた生活基盤まで全部壊してしまいました。
森 毅 (著), 養老 孟司 (著)
寄り道して考える
PHP研究所 (1996/11)
P184
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