能ある鷹 [対人関係]
真勇は怯の如く、
真知は愚の如く、
真才は鈍の如く、
真巧は拙の如し。
「 言志耋録」第二三九条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P238
鷹の立つや睡るが如く、虎の行くや病むに似たり。
正にこれ他( かれ )の人を攫( つか )み人を噬( か )む手段の処なり。
故に君子は、聡明はあらわさず、才華は逞しくせざるを要して、纔( わずか )に肩鴻任苣鉅( けんこうにんきょ )の力量あり。
洪自誠
守屋 洋 ( 著), 守屋淳 ( 著)
菜根譚の名言 ベスト100
PHP研究所 (2007/7/14)
P113
鷹のたたずんでいる姿は眠っているように見えるし、虎の歩いている姿はまるで病人のようである。
だがそれは、人におどりかかろうとする前触れにすぎない。
君子もまた、鷹や虎のように、やたら才知や才能をひけらかしてはならない。
そうであってこそ初めて天下の大任を担うことができるのである。
[百六十八段] 年を取っている人でも、何か一つのことにすぐれた才能があって、「この人がいなくなった後には、誰に尋ねよう。]などと言われるのは、年寄びいきというもので、生きていても無駄ではない。
そうではあるが、そういう場合でも、衰えた点がないのは、「一生このひとつのことで終わってしまったのだなと、ぐずに思われる。
「今はもう忘れてしまった。」などと言っておくのがよかろう。大体、よく知っていることでも、はしたなくしゃべり散らすのは、それほど大した学才ではないのであろうと思われるし、また、(しゃべり散らすうちには)間違いもするであろう。
「はっきりと承知しません。」などと言っているのは、本当にその道の権威者とも感ぜられるであろう。
まして、自分がよく知らないことを、しったかぶりに、年上で、軽くいなすこともできないような(気がねな)人が、得意げに言い聞かせるのを、そうでもないと思いながら聞いているのは、とてもやりきれないものだ。
徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P269
一 孔子、郷党に於いては恂恂如( じゅんじゅんじょ )たり。言う能わざる者に似たり。
その宗廟・朝廷に在りては便便として言い、唯謹( ただつつし )めり。
郷党篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P263
能あるものは、そっと黙っていよ。
そっとしておいてもおのずから現れて来る。
どんなに装ってみても、
結局は、人の問題だ。
(「温順なクセーニエン」第三集から)
ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P26
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