SSブログ

仁に過ぐれば弱くなる [処世]

仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
礼に過ぐれば諂( へつらい)となる。
智に過ぐれば嘘をつく。
信に過ぐれば損をする。
気長く心穏かにして、万に倹約を用( もつ)て金銭を備ふべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。
元来客の身なれば好嫌は申されまじ。
今日の行( ゆく)をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、しやばの御暇(おいとま)申すがよし。
                               伊達政宗・家訓

                       安岡 正篤

                       百朝集

                       福村出版 (1987/09)

                       P40

1927401三千院百朝集

世に処しては、宜しく俗と同じうすべからず。
また宜しく俗と異なるべからず。
事を作すには、宜しく人をして厭わしむべからず。
また宜しく人をして悦ばしむべからず。


                  洪自誠 

                      守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)

                       菜根譚の名言 ベスト100

                        PHP研究所 (2007/7/14)

                       P215

世俗と同調してもいけないし、といって、離れすぎてもいけない。
これが世渡りのコツである。
人から嫌われてもいけないし、といって、喜ばせることばかり考えてもいけない。
これが事業を経営するコツである。

菜根譚の名言ベスト100

高松宮は(住人注;昭和19年)7月8日、自らの日記にこう記した。
「陛下の御性質上、組織が動いてゐるときは邪なことがお嫌ひなれば筋を通すと云う潔癖は長所でいらっしゃるが、組織がその本当の作用をしなくなったときは、どうにもならぬ短所となってしまふ。
今後の難局には最もその短所が大きく害をなすと心配されるので、さうしたときの御心構へなり御処置につき今からお考へを正し準備をする要あり。<中略>

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
竹田 恒泰 (著)
小学館 (2005/12)
P107


P209 (住人注;河合)継之助はもはや江戸に失望していた。国もとの父代右衛門へのたよりにも、
「当地はさすがに大都会、大学者も多く、、実(げ)に私輩の未熟にとって師とすべき者は多うございますが、しかしながら学問を職業のようにいたしおる者が多く、実学の人すくなきように思われます」
と書いた。

P215
継之助は(住人注;江戸の古賀塾塾頭の小田切盛徳。米沢藩士で、その学才は藩の誇りにすらなっており、帰藩すれば家中の学問の総裁になるといううわさがあった。)小田切のことを、
「学問を出世のたねにしているやつだ。ああゆうやつが世のなかでもっとも悪い」
といっている。
  大工左官ならばかまわない、と継之助はいう。大工左官が職をみがき江都第一等の腕になればりっぱに食える。
しかし学問の道はちがう。この道は技芸の道とはちがい、一国一藩の政治の道につながっている。学問で俗世間の名誉を得れば藩はその者に政治をとらせるだろう。そういう性根の男が政治をとれば影響するところが深刻でる、一国の腐敗につながる、だからもっとも始末がわるい、と継之助はいうのである。

P219
(河合さんは物事をつきつめすぎる。世のこともつきつめてしまえば、世を捨てた道楽者になるか、むほんでもおこすしかなくなる。人間はやはり、小田切のように俗っ気(け)や娑婆(しゃば)っ気(気)や利己心が旺盛なほうが安全なのかもしれない) と、(住人注;鈴木佐吉少年は)ふとおもったりした。

P223
そこまで佐吉が考えたとき、
(あっ)
と、胸中叫んだ。わかるような気がした。継之助が半鐘をきいて吉原へ飛んで行った理由が、である。
「小田切さん」
と、餅を食っている塾頭にいった。
「河合さんが走ったのはあれでしょうか、やはりあのひとの学理でしょうか」
「学理で女郎のもとに奔(はし)るのか」
「だとおもいます」
「お前は狂人だ。あの狂人のものぐるいが伝染(うつ)ったのだ」
と、小田切は君わるそうに佐吉をみた。
「いいえ、うまく表現できませんが、私は河合さんが学理で走ったのだとおもいます。
あのひとの敬慕する王陽明でも、この場におれば走るだろうと思います」
「おれでも吉原に馴染(なじみ)の女がいるぜ。しかし火事をみてもはしらない」
「それはあなただからです。河合継之助なら走ります。げんに走っています」
「王陽明もか」
「ええ、王陽明も走ります」
 佐吉がおもうに、走ることは儒教の根本義である仁(じん)というものである。儒教では惻隠(そくいん)の情といゆものを重くみる。
道をあるいていて、見知らぬ子供が河に落ちた。どんな悪人でもそんな場に通りあわせれば捨てておかず、なんらかの手段でたすけようとする。
人間が生まれながらにもっている痛わしく感ずる心―惻隠の情―こそ仁の原子形態である、と孟子も説いている。継之助はそれを感ずると同時に、かれの信条らしく行動をおこしたのであろう。その行動は純粋気質から発しており、高山の湖のように透明度の高いものだ、と佐吉はおもう。

P227
 馬鹿惚れをしているわけではないが、小稲を愛らしく思っている。である以上、その危難をみては身を挺して救うべきである、というのが、継之助の思想であった。
継之助はその思想をもってかれ自身の心胆をねりあげようとしている。
その最終の目的は藩国の危難に役立つ自分でありたいということだが、相手が遊女であってもかまわない。~中略~ たかが遊女のためだが、そのために火の中をくぐることも辞ぜぬ、そういう男で、継之助はありたいとおもっている。
(色恋もまた、おれを練磨する道だ)
 この理屈っぽい行動家はおもっていた。

峠 (上巻)
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (2003/10)



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント