柔軟性が必要 [ものの見方、考え方]
免疫も、あるときは異物に対して容赦ない排除を、またある時は寛容と共存を選んで、個体を生物生態系に適応させていることがわかります。最近の民族紛争などをみると、免疫系に比べてなんとおろかな一本調子の反応しかできないのかと、なさけなく思います。
多田 富雄 (著), 南 伸坊 (著)
免疫学個人授業
新潮社 (1997/11)
P124
P134
人間のからだは実に精妙にできていますが、
たとえ複雑な脳や免疫の働きでさえも、分子と遺伝子の作用で説明できる高級な分子機械なのです。
しかし、それが通常の物理的機械や工学システムを「超」えていることも確かです。
~中略~
からだはエラーを犯し、危険をはらみながらも複雑な情報処理と調整を行い、生命の全体性を保っています。
私はそれを「超システム」と呼びました。そのひとつの原理は、ここに現れたあいまい性(アンビギュイテイ)です。
あいまいであるからこそ、しなやかで強靭な生命活動ができるのです。
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「惣而(そうじて)太刀にても、手にても、いつく(居着く)という事をきらふ。
いつくはし(死)ぬる手也」
「一、太刀の持やうの事」
谷沢 永一 (著)
宮本武蔵 五輪書の読み方
幻冬舎 (2002/10)
P133
西郷と陸奥(住人注;陸奥宗光)を比べれば、陸奥は小人だとか、人徳がないという評価も当てはまるでしょう。
ただ、「実際問題として、どちらがお国のためになったのか」という問いに対しては、陸奥といっても十分理屈は通ります。これが徂徠の学が経世済民の学たるゆえんです。
私は、西郷たちが西欧の合理主義とどうしても相容れなかったいちばんの罪は陽明学にあると思っています。
陽明学は、儒学の行き着いた極致であり、あまりにもうまくでき過ぎています。
個人の人格を完成する努力が社会全体の幸福にまでつながるということを理路整然と説明されれば、それを実践する人には何の迷いも生じません。
物質的な貧乏(後進性)も何の苦にもならず、大衆の毀誉褒貶もいっこうに構わないわけです。
全部に失敗しても、天の道を踏んでいるのですから、志は天に通じていると思っているのですから、そんな理論に凝り固まって、しかも忠実に実践している「立派な人」に、それ以外の考え方を説得しようとしても無理でしょう。
岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P153
一時期、カナダやオーストラリアのような移民から成り立つ国では、文化多元主義ということが理想のようにいわれ、複数価値を許容することによって共存共栄がはかられました。
ところが、文化なるものはおおむね宗教に起源します。それで、文化多元主義から一歩進めて宗教多元主義は可能か、というと、神仏が共存する日本のような形態は一神教の地域では無理のようです。信仰が熱烈であればあるほど他宗教を排除するからです。
祟りをおそれる神道では善き人も悪しき人も神として祀るから、それで慰霊はでき平安も回復されるように私たちは感じますが、一神教では敵を祀ることを許さない。
仏教が伝来したとき神道との対立が破壊的な抗争に及ぶことを危惧した聖徳太子は、十七条憲法の第一条で「和を以て貴しとなす」と宣言しました。
政治や唇紅の原理を説くよりも、複数価値の容認と共存という寛容の精神を優先されました。
太子は今の言葉でいえばファンダメンタリスムと呼ばれる自己の信ずる原理の絶対的正しさを前提とすることの危険性を察知していたのでしょうか。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P44
「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」
アインシュタイン
脳と言葉を上手に使う NLPの教科書
前田 忠志 (著)
実務教育出版 (2012/3/23)
P165
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