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究極のマイナス思考はプラス思考 [ものの見方、考え方]

マイナスの勇気、失うことの勇気、あるいは捨てることの勇気。
現実を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考がでてくるのです。

五木 寛之 (著)
他力
幻冬舎 (2005/09)
P94

他力 (幻冬舎文庫)

他力 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 五木 寛之
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2005/09/01
  • メディア: 文庫



1938083都井岬4

 最近読み返したばかりの「コヘレトの言葉」の中の一節が浮かんできます。
「なんという空しさ、すべては空しい。・・・・私は太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれも空しく、風を追うようなものである」(コヘレト一・二、一四)。
 「コヘレトの言葉」のような文書が聖書の中に入っているのは、一見、不思議にも思われます。これは、古来、シニカルな懐疑主義者やペシミストに愛されてきたものです。
~中略~

 しかし、この文書は、「懐疑の書」でもなければ、諦観的ニヒリズムの告白でもありません。
この短い文書には、暗いトンネルをくぐり抜けるときに点在する信号灯のように、三十数回も「神」という名前がでてきます。
コヘレトは、地上的な人間がさまざまの形で―富や地位や権力を求めて―苦しみ喘ぐ営みを冷徹に見通し、厳しい言葉を発しています。
それは、<空しい>日常性から、いっそう<高次の次元>へと人間が目を開くことを促しているのです。

 大震災のただ中で、改めて関東大震災の折に内村鑑三が、「聖書之研究」誌に書きつづった文章を取り出して読み直してみました。
「大地と共に地上の万物は震い動く、しかし、震いつつあるこの地に住みながら、震われざる国の民であることができる」と語っています。
その訴えに私は旧約預言者の言葉のような力強さを覚えさせられました。彼は、大震災に「末日の模型」を見ながら、なお、それを通して「より善き、より潔き日本が現れんとしている」と励ましと希望とを伝えています。

 日常性を超えるいっそう<高次の次元>というのは、宗教的に言えば神への<祈り>であり、終末論的希望にたいする根源的信頼の表明です。
この信頼と希望に支えられるがゆえに、なおこの地上に踏みとどまり、新しい将来を形成するために働く勇気をもちうるのです。
~中略~

電力消費の問題一つとってみても、いわゆる豊かさを追い求めるのではなく、たとえ貧しくなろうとも、日常生活の不便さを忍んでも、人間らしく生きるとはどういうことか、真に生きることの意味を、いまこそ深く問いつづけなければなりません。そのことなくしては、<いま人間であること>そのものが成り立たなくなっているのです。

いま人間であること──大地震の災禍の中で考える
  宮田光雄 (東北大学名誉教授)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P51

 

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌




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