試練に遭遇した時 [人生]
凡( およ )そ遭う所の患難変故、屈辱讒謗( ざんぼう )、払逆の事は、
皆天の吾( わが )才を老せしむる所以にして砥礪切磋( しれいせっさ )の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以( ゆえん )を慮( おもんばか )るべし。
徒( いたず )らに之を免れんと欲するは不可なり。
「 言志録 」第五九条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P39
>>>砥礪切磋(しれいせっさ)
>>>讒謗(ざんぼう)
天、我に薄くするに福を以ってせば、吾( われ)、吾が徳を厚くして以ってこれを迓( むか)えん。
天、我を労するに形を以ってせば、吾、吾が心を逸にして以ってこれを補わん。
天、我を阨( やく)するに遇を以ってせば、吾、吾が道を享らいめて以ってこれを通ぜじめん。
天且つ我を奈何せん。
洪自誠
守屋 洋 ( 著), 守屋淳 ( 著)
菜根譚の名言 ベスト100
PHP研究所 (2007/7/14)
P71
天が冷遇して幸福を授けてくれなければ、わが徳を磨いて幸福をかちとるがよい。
天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして苦痛をいやすがよい。
天が苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道を守って初志を貫徹するがよい。
これなら、天といえども、どうすることもできない。
良寛さんにこんな言葉があります。
災難にあう時は、災難にあうがよろしく、死ぬ時は死ぬがよろしく、これ災難をのがれる妙法なり
~中略~
人間の力でどうにもならないことは、神でも仏でも宇宙のいのちでもいい、とにかく、自分を超えた大いなるものにお任せして、自分の力でできることにベストをつくしていく、これが、人生を豊かに生きることだと思うのです。そこには生の充実ということもあると思います。
このことを、十二世紀の中国の禅者の圜悟克勤(えんごこくきん:仏果禅師・「碧厳録」の編集者)は「生也全機現 死也全機現」(生きるときは生ききり、死ぬときは死にきる)といいます。この也という字は、「また」とも読みます。「また」と読んだ方が、意味が通じるかもしれません。生もまた全機現、死もまた全機現。全ての機というのは、この場合は自分のことをいっています。私たちが生きている限りは、精一杯生きることにかけていく。これは、私たちの力でできることです。死に直面したら、死は私たちの力では、どうすることもできないのですから、小細工をやめて、大いなるものに任せきって一生を終わっていく、ここに私たちは、一つの問題の解決法を見いだすことができると思うのです。
松原 泰道 (著)
人生百年を生ききる
PHP研究所 (2004/08)
P292
「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」
と、死にのぞみ(住人注;天保二年(一八三一)一月六日)貞心尼に示した一句は心にしみいるようないい句である。
が、わが好みの名言は、大地震のあと、知人にあてて無事であることを報じた手紙の
「災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」である。
ここまで達観したいもの。
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P194
よく事を通じて、勤勉であっても、
目的どおりに事の運ばぬばあいがある。
これはその機のいまだ熟せず、
その時のいまだ到らぬのであるから、
ますます勇気を鼓して忍耐しなければならない。
「渋沢栄一訓言集」処事と接物
渋澤 健 (著)
巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」
講談社 (2007/4/19)
P100
【山岡鉄舟】(一八三六~一八八八)―借金―
困難も人の所為(せい)と思うとたまらぬが。自分の修養だと思へば自然楽地のあるものだ
日本人の叡智
磯田 道史 (著)
新潮社 (2011/04)
P100
コメント 0