三たび復(かへ)して後に云へ [倫理]
古へに三たび復(かへ)して後に云へと。
云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さ付して後に言行すべしとなり。
先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。
~中略~
我が思ふことも言ふこともあしきことあるべき故に、まづ仏道に合ふや否やとかえりみ、自他の為に益ありやいなやと能々(よくよく)思ひかえりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。
行者若しかくのごとく心を守らば、一期仏意に背かざるべし。
永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。
懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P94
前略~
君の胸に秘めている言葉が、事実でありしかも相手にダメージを与えず、相手にとってメリットがあるとわかるなら、あくまでもタイミングをみて、それを伝えるとよい。
~後略
中部経典「無諍分別経」
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一〇〇
「ま、しゃべるよりさきにちっと偉い人たちの書いたものでも読んでごらん」というにきまっている。
「そこいらは、とうの昔から写真入の道案内一部三銭5厘、誰でも知ってる風景だあね」といわれそうでもある。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P27
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