学問は米を搗きながらも出来るものなり。 [学問]
生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。
学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。
学者小安に安んずるなかれ。
粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし。
学問は米を搗きながらも出来るものなり。
人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰い味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり。
福沢 諭吉 (著)
学問のすすめ
岩波書店; 改版版 (1978/01)
P112
日本人は学問といえば、学校で先生が切り口上か何かで講和するのを、固い冷たい椅子の上で聞くものとばかり思い、その他の場合に聞いたことは有益なことでも、活きた実際問題でも、ただ聞き流して、ただ聞き流して、学問とは思わぬらしい。
しかし、慈母の温和な談話も、厳父が冗談交じりに語ることにも、有益な学問となることがたくさんある。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P278
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