マイナス思考からの脱却法 [人生]
神経的のくだらぬ心配は健康上大害がある。
これを除くには学問を立脚地として、
精神修養の功を積むほかはない。
「渋沢栄一訓言集」立志と修養
渋澤 健 (著)
巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」
講談社 (2007/4/19)
P130
ポジティブ心理学の創始者のひとりである故フィル・ストーンは、私にとって教師以上の存在でした。
1999年にフィルは私を第1回ポジティブ心理学サミットに連れていってくれました。学会2日目は、9月のありふれた一日でした。空はいくぶん曇りがちで、風はさわやかでした。午前中の講演の後、フィルは「歩きに行こう」と私を誘いました。
「どこへ?」と私は尋ねました。「ただ歩くのさ」と彼は答えました。
これは私がそれまで学んだ中でもっとも重要な教えのひとつでした。
外へ歩きに出かけましょう。ただゆっくりと時間を過ごすという以外には何も目的をもたずに。そして、この世界の豊かさを味わい尽くしましょう。
町の鼓動、村の静けさ、海の広さや森の生命力を感じ取る時間をとりましょう。
ただ歩くことを習慣にしてください。
ハーバードの人生を変える授業
タル・ベン・シャハー(著), 成瀬 まゆみ (翻訳)
大和書房 (2015/1/10)
P147
P74
失敗した―と思うことは、仕事でも、人間関係でも、人生全般に、必ず起こります。
大事なのは、そこで凹(へこ)まないこと。けして自分を否定しないことです。
しかし、「判断」という心の反応は厄介なもので、すぐに「評価を下げたかも」「自分は向いていない」「なんてダメな人間なんだ」と。自分を責めてしまいます。
人によっては、コンプレックスや挫折感、「生きている価値がない」とまで、思い詰めることさえあります。今の時代には、多くの人が自分を否定して苦しんでいます。
P76
では、どんなときも自分(相手)を否定しないためには、どうすればいいでしょうか。
~中略~
それは、①一歩、一歩と外を歩く、②広い世界を見渡す、③「わたしはわたしを肯定する」と自分に語りかける、という方法です。
P77
①一歩、一歩と外を歩く
一つは、すぐに外に出ること。散歩することです。一時間でも、二時間でも、歩けるところまで、歩いてみてください。
このとき肉体のキャッチする「感覚」に意識を向ける(感じ取る)ようにしてみましょう。仏教が教える「感覚が生まれる場所」は五つあります―目・耳・鼻・口・肌・―です。その一つにひとつに、これまで以上に意識を向けてください。
たとえば朝、昼、夜と、時間帯によって、空の色も、街の光も、木々の緑や流れる川の色も、違って見えるはずです。今この瞬間に、世界はどう見えるのか―目を見開いて、視覚をフルに使って、よく観察する(見つめる)ようにしましょう。
鼻先から入ってくる空気の匂いも、濃密さも、季節や一日の時間によって違います。
~中略~
今たしかに存在するのは、「感覚」です。さっきまでアタマを占領していた「苦悩」は、この瞬間にはありません。「もうひとりの自分」「もう一つの人生」が、ここにあります。
あなたはすでに、これまでとは違う新しい人生を”生きている”のです。
~中略~
あの比叡山では「千日回峰行」といって、毎日三〇キロから八〇キロメートルにわたる距離を、足かけ七年かけて歩きつづける修業があります。
「自己否定を抜けるための散歩」も、一つの修業です。修行という言い方が重たければ、「練習」「実践」「生活」「心がけ」というのは、どうでしょうか。
どれくらいの期間歩けばいいのか、決まった答えはありません。でも、ただ歩けばいいのですから、難しくありません。何か月でも、何年でも、自分を否定する判断が消えてなくなるまで、散歩しつづけてみるのです。
~中略~
②広い世界を見渡す
外の世界を見渡せば、いろいろな人が生きています。実は、あなたを「否定」してくるような人間は、自分が思っているほど多くはいないものです。
買い物途中の親子づれや、街角の交番のおまわりさんや、お店で働いている店員さんたちを、眺めてみてください。外で見かける人はみな、それぞれの日常を生きています。道を訊ねてみれば、驚くくらいに親切に答えてくれることでしょう。
世の中には、たくさんの、心優しい人、良心的な人がいるものです。
人を否定するという発想すらなく、毎日を一生懸命生きている人が大勢います。
~中略~
③「わたしはわたしを肯定する」
「自分を否定しない」もう一つの方法は、「ただ肯定する言葉」をかけることです。「わたしはわたしを肯定する」と、自分に言い聞かせてみましょう。
この「肯定する」という言葉は、世間でいう「ポジティブ・シンキング(積極思考)」とは違います。
よく「自分はできる」とか「日増しに良くなっている」というようなポジティブな言葉を自分に語りかけよう、という話を聞くことがあります。
たしかにこうした言葉が、「暗示」として効くことはあると思います。しかし、前向きな言葉があまりに「現実」とかけ離れていると、心が「ウソ」を感じ、効かなくなってしまいます。~中略~
仏教は、「正しい理解」を基本にすえるので、現実と合致しない言葉がけ(ある意味、妄想)というのを、当てにしません。
「こうなったらいいな」という”方向性”は考えますが、それはあくまで将来のこと。それだけなら、妄想の領域です。
問題は、今自分を否定してしまう判断を、どう止めるかなのです。そのためには、判断そのものを停止させる、シンプルな言葉のほうが効きます。
それが、「わたしはわたしを肯定する」という言葉です。
P84
以前、私が修業した禅寺で、ある朝、若い修行僧が、寝坊して勤行に遅れてきたことがありました。本人は「坊主失格だ・・・・」と落ち込んでいましたが、その寺の和尚は
「バカもの、今だけを見よ(喝)!と叱り飛ばしていました。
この和尚の理解は、正しい理解です。
「過去を引きずる(過去を理由に今を否定する)」というのが、それ自体、心の煩悩、邪念、雑念なのです。
人生に、あやまち、失敗はつきものです。ただ肝心なのは、そのとき「どう対応するか」なのです。
落ち込まない。凹まない。自分を責めない。振り返らない。悲観しない。
それより、今を見すえて、正しく理解して、「すみませんでした」と率直に謝りましょう。それも含めて、もう一度、新しくやり直すのです。
過去の汚れを捨てて、新たな汚れを作らない。
智慧にめざめた人は、思い込みから自由になって、自分を責めることをしない。
心の内側も、外の世界も、よく理解するがよい。
ただそれによって自分の価値を測ってはならぬ。
その想い(判断)は、よろこびにつながらないからである。
「自分は優れている」とも、「劣っている」とも、「等しい」とも判断するな。
さまざまな言葉を受けても、自分の価値を判断しないようにせよ。
さまざまな煩悩(評価・計らい・判断)が消滅した境地こそが、よろこびである。
その者は、すでに勝利している。他者に負かされることは、もはやない。
―スッタニパータ〈論争について〉〈速やかな成就〉の節
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