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日本のジャーナリストも人の子(日本人) [日本(人)]

養老 孟司
 ジャーナリストにこういう話をすると、たいがいは賛同の意を表明してくれます。
ところが、理解してくれるならこんなふうに改革したらどうだろうと言うと、みんな口を揃えたように「だけど、先生、そんなふうにしたら、僕はクビになっちゃいますよ」と言いだすのです。
そこで僕が「お前さん、クビになるのが心配で、自分の思うようにできないでいるんだったら、それはまるで恐怖政治じゃないか」と言うと、彼らはなにも答えられません。

ジャーナリズムは社会正義をふりかざしていろいろ言いますが、僕の目から見ると、自分たち自身が恐怖政治にコミットしているように見えます。

~中略~
 本当はクビになどなることはないでしょう。みんなと一緒に寄り集まっていることに安心して、一人になることが不安なだけなのです。

森 毅 (著), 養老 孟司 (著)
寄り道して考える
PHP研究所 (1996/11)
P211

寄り道して考える

寄り道して考える

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2020/04/27
  • メディア: 単行本


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P41
 南相馬市役所へは、事前のアポイントを取らずに向かった。役所に着くなり、職員から「ジャーナリストが来たぞ!どうぞなかへ!」と大歓迎され、桜井市長自らが「よく来てくれました」と迎え入れてくれた。
なぜこんなに喜んでくれるのか、最初はよくわからなかったのだが、市役所内の記者クラブを見せてもらってすべてが氷解した。 南相馬市の窮状を世の中に伝えるべき日本人の記者はすでに全員避難して、誰ひとりいなかったのだ。  南相馬市から逃げ出した日本人の記者に対して、桜井市長は激しく憤っていた。
「日本のジャーナリストは全然駄目ですよ!彼らはみんな逃げてしまった!」

P94
 記者会見を密室に閉じこめようとした当事者が、体制側ではなく日本のジャーナリスト本人だったというのだから暗澹たる気分になる。いったい日本の記者クラブメディアは、誰のために存在しているのか。
 自分たちの手だけに情報を独り占めして、彼らは満足しているのかもしれない。だが、記者クラブが握る情報にどれほどの価値があるというのだろうか。当局側とあまりにも距離が近くなりすぎて、当局が最も嫌がる記事を書けない。それどころか、リーク情報をエサにする当局の思いどおりにコントロールされてしまう。
 その滑稽さは、3・11という歴史的な出来事をめぐる報道によって、読者に見抜かれつつあることに早く気づいたほうがいい。

P96
 なぜ日本のビジネスマンが、日本経済新聞をクオリティーペーパーとして信頼するのか私には理解しがたい。日本経済新聞の紙面は、まるで当局や企業のプレスリリースによって紙面を作っているように見える。言い方は悪いが、これではまるでおおきな「企業広報掲示板」だ。大量のプレスリリースの要点をまとめてさばいているだけであって、大手企業の不祥事を暴くようなニュースが紙面を飾るようなことは稀だろう。
~中略~
 企業にとって好ましくない情報だろうとも、厳しい取材拒否に遭おうとも、報じるべきことはニュースにする。そういう報道姿勢があったからこそ、フィナンシャル・タイムズは世界中のメディアに先駆けてオリンパスのスキャンダルを一面スクープすることができた。
欧米の経済紙を手放しで称賛するつもりはないが、当局側、企業側に近い日本経済新聞とは、ジャーナリズムにたいする気構えが違うことだけは明白だ。

P104
 みずほ銀行のこうした現状(住人注;2003年、不良債権処理を迫られ、2兆円を超える赤字決算により株価低迷が続いていた)について、私はもう一人の記者とともにウォール・ストリート・ジャーナルにかなり批判的な記事を書いた。
これに、みずほフィナンシャルグループの広報担当者は激怒した。彼は毎日のように私に電話をかけてきて、詰問口調であれこれ質問をぶつけてきた。さらに、「ウォール・ストリート・ジャーナルから広告を全部引き上げる」と脅された。
 ウォール・ストリート・ジャーナルの上司にその話をしたところ、「そうか、だったら広告なんてやめてもかまわないよ」と言って「ハッハッハツ!」と大笑いしてくれた。
~中略~
当たり前のことだが、新聞にとって最も重要な財産は読者からの信頼だ。広告の引き上げは一時的な収入源のみの問題だが、信頼は情報という「形のない商品」を扱うメディアにとっては生命線そのものだ。  みずほフィナンシャルグループの担当者から連日電話攻撃を受けながら、私は思った。
「こうやって脅かせば、日本の記者は企業に負けてしまうのかもしれないな」

P113
 ところが日本の新聞では、匿名のコメント率があまりにも高いから驚く。名前を明示したコメントは、むしろ少数派だ。これは、発言者は責任をもたず、記事を載せている新聞社も情報の真偽に責任をもたないと言っているに等しい。匿名にする意味のないコメントまで匿名にする慣習は、アメリカのジャーナリズムから見て異常としか言いようがない。

P150
大学で机を並べていた者たちが、官庁と新聞社という違いはあるにせよ、”同期の入社組”としてそれぞれが同じように出世してゆく。
 これは何を意味するのか。私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。
~中略~
 日本の新聞記者は、あまりにもエリート意識が強すぎるのではないだろうか。彼らは政治家に対してはわりと批判的なのに、行政のバッシングはできるだけ避けようとする。
いまでも官僚批判は雑誌メディアやネットメディアの独壇場だ。政治家の記事は書き放題なのに、官僚バッシングをやりたがらないのだ。
それはやはり、官僚が貴重な情報源であるのと同時に、どこかで同志意識のようなものがあるからだろう。
~中略~
 大学を卒業すると同時に、二十代前半の若さで新聞社に入れば、何か不祥事でも起こさない限り、定年まで一生勤められる。このような勤務形態は、アメリカのメディアからみればとても珍しい。
「なぜ他社と横並びになり、当局幹部を狙って夜討ち朝駆け取材を続けなければいけないのか」「記者クラブは本当に必要なのか」などと疑問をもつような学生は、日本の記者クラブメディアには必要とされない。
「ジャーナリスト=専門職」という意識をもつ記者は日本の情報機関にとって不要であり、「ジャーナリスト=サラリーマン」であることが望ましいのだろう。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)

 

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)

  • 作者: マーティン・ファクラー
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2012/07/04
  • メディア: 新書




 私は昔日本財団というところに勤めていたのだが、その時、財団の若い職員としばしば調査のために外国に行っていた。 そういう場合、新聞記者も望めば同行することもあった。
非常に人間的にいい人と、およそその非常識ぶりが信じられないような威張って無礼な記者がいるのも、大新聞社であった。 彼等は、朝の挨拶もしない。帰る時お互いに「お世話になりました」の一言も言えない。
財団に現地の旅費まで出させておいて、首都で政治上の変化があると、夜のうちにさっさと一言の挨拶もなく「消えた」支局長さえいた。

人生の原則
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
P74

 

人生の原則

人生の原則

  • 作者: 曾野 綾子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 政治家や革命家は社会を創り、宗教家や教育家は人間を創り、靴屋は靴を作り、銀行家は金を作る。すべて個体だ。
ところが新聞ジャーナリストときたら、気体をおっかけまわしているのである。
靴屋がビニール製のめずらしい靴を作った。それニュースとばかりに書く。すべて自分以外の人物が創造したことによって発散する気体のようなものを、新聞ジャーナリストは追っているわけである。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P57

 

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/12/22
  • メディア: 文庫






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