悲惨な運命の源は自分 [人生]
私の失脚はだれのせいでもない。自分のせいだ。
私が私自身の最大の敵であり、私の悲惨な運命の源であった。
ナポレオン
デール・カーネギー (著) 香山晶 (訳)
道は開ける
ハンディーカーネギー・ベスト
創元社 (1986/11)
P297
お前がいつか出会う災いは、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。
ナポレオン・ボナパルト
大山 くまお (著)
名言力 人生を変えるためのすごい言葉
ソフトバンククリエイティブ (2009/6/16)
P51
すべて古来の偉人傑士の伝記を繙(ひもと)いて見たならば、何人もその人々が必らず自ら責むるの人であって、人を責め他を怨むような人でない事を見出すであろうし、それからまた飜(ひるがえ)って確守不詳の事を惹起した人の経歴を考え検べたならば、必らずその人々が自己を責むるの念に乏しくて、他を責め人を怨む心の強い人である事を見出すであろう。
(明治四十三年十月)
努力論
幸田 露伴 (著)
岩波書店; 改版 (2001/7/16)
P34
二七一 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛をよだつこととは、自身から生ずる。
諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、―あたかもこどもらが烏を投げすてるように。
二七二 それらは愛執から起こり、自身から現れる。あたかも榕樹(バニヤン) の新しい若木が枝から生ずるようなものである。
それらが、ひろく諸々の欲望に執着していることは、譬えば、蔓草(つるくさ)が体の中にははびこっているようなものである。
ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P60
逆境に陥った理由を己に求め、今日かく逆境に至ったのは、己にありと観念を決めたなら、人を怨まなくなるであろう。実際、また逆境というものは、たいてい自分の失敗に基づくものである。
歴史上他に讒訴(ざんそ)され、陥れられた人はたくさんあるが、善かれ悪しかれ、その理由とされた欠点は多少己にあったものである。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P313
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