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イエスははたして人か神か [宗教]

  イエスははたして人か神かということは、何世紀にもわたって議論されてきた問題である。
イエスも、そしてブッダも、人と神の両方の特性を備えていた。ある面で不滅だが、どちらも死すべき運命であった。
しかも皮肉なことに、二人は自分の体が神々しい光を放って変身する現場に弟子たちを立ち会わせることによって、彼らに死というこのきわめて人間的な事態への心構えをさせたのである。

~中略~
そして最も重要なのは、二人が天から降りてきて人類のために奉仕し、最後にはまたもとの場所に帰って行く神の化身とされている点である。
仏教においてもキリスト教においても、彼らは間違いなく人間と見なされており、それでいて奇跡の力を備えている。二人とも女性の腹から生まれているーただしその母親は処女であった。
従って人間の性質と神の性質、両方をあわせ持っているのである。

今枝 由郎 (翻訳), 鈴木 佐知子 (翻訳), 武田 真理子 (翻訳), マーカス・ボーグ
イエスの言葉ブッダの言葉
大東出版社 (2001/10)
P191

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イエスの言葉ブッダの言葉

 ユダヤ人すなわちユダヤ教徒が、キリスト教徒に対して徹底的に反発したことの一つは、彼の偉大性は、その出生が違う点にあるというキリスト教徒の主張である。
~中略~

 モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデ、エリアから偉大なる預言者たちに至るまで、すべて、生まれたときはただの人である。彼らがなぜ偉大なる仕事をなしえたか、それは神に召し出され、神に命ぜられ、そしてその使命を立派に果たしたからに外ならない。
~中略~

人間はすべて神の前に平等である。そして、神から使命を託された人のみが指導者たりうる。これは神の一存によるのであるから、その使命によってある地位についたからといって、それを自分の所有物のように子孫に譲渡することなどはできない。
これはユダヤ人の根本的な考え方であった。
従って指導者はカリスマ的指導者となる(このカリスマという言葉は、驚くなかれ、近ごろは日本のジャーナリズムまで登場している。しかしどうも孫引きらしく、「贈物・下賜品」という原意を知らずに誤用されている場合もあるから注意してほしい)。
従ってユダヤ人の根本的考えは王制と相いれない。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)
P178


橋爪 前略~

ではイエスの役目は何かというと、人びとに、神の言葉をじかにのべることである。預言者と似ているけれど、預言者は聞いたことを話すでしょう。イエスは聞くのではなしに、自分が話す。ここが違う。

自分の頭にあることを、自然に話している。ふるまいは預言者なんだけれども、預言者ではない。そこが、神の子だと考えられる。

 で、神の「子」とはどういう意味かというと、親と分離している。イエスはイエスで完結した存在。独立の人格なわけですよ。けれど、この完結した人間存在が百パーセント、神の意志と合致している。つまりそれは、神の意志だとも見なければならない。こういう状態なんですね。


ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)


講談社 (2011/5/18)



P169






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