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脚下照顧 [倫理]

見栄や雰囲気に流されると自分自身を見失いやすくなる。
また、本物も見えにくくなる。
一度は流れの中で立ち止まって、足元を見つめることも必要だ。

橋本 保雄 (著)
感動を与えるサービスの神髄―ホテルオークラを築いた人間(おとこ)の経営学
大和出版 (1999/09)
P113

-6425b.jpg薬師寺3

元ホテルオークラ副社長が説く実践的サービス論。
筆者は元ホテルオークラ副社長(現顧問)。

>>>脚下照顧

感動を与えるサービスの神髄

P157
寮に懇親会、茶話会があって、入り口に足の踏み場がないくらいに履物が乱れている。これは心の乱雑を表すなによりの証拠だ。情けなくなって、学長自ら散乱している履物をそろえていたら、さすがに人間だからそれくらいの気はつく。その辺にいた学生が恐縮したような恰好をして手伝って整理した。それで「難しいことはいわないが、せめてわが履物くらいは揃えようじゃないか」と言ったら、それから揃えるようになった。
 禅寺へ行けば必ず禅僧が「脚跟下(きゃくこんか)を照顧せよ」という。かかとを跟という。脚跟下を照顧せよ。そういうことを自覚することから修行というものが始まる。
 人間の進歩、文明、文化というものは、突きつめると、孟子が断言したように、「自反」―自ら反(かえ)るというところにある。自分が自分に反ることをいい加減にして忘れて、外物に自分を奪われる。
徒(いたず)らに外物を追う、つまり自分を棚に上げてしまう。自己をおろそかにする、自己を疎外するというところからあらゆる間違いやら迷いやら、いろいろの失敗が起ってくる。

P274
 どうしても、自ら志を立てて実践するという心構えとか根本的生活態度というものを確立しないと、なにを言っても空論である。いかなる期待される人間像も理想社会もみな空論・幻影である。だから人間は機会あるごとに、己に反って己自らが考える。
王陽明と楊茂の聾唖の問答でいうならば、常に「多少の閑是非を省了」する必要がある。

知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))


 足元を見て、できることを積み重ねる。改善を重ねていく―こういう努力をは、自分の内側だけを見て、今立っている場所からスタートすればよいので、とてもラクだし、自然です。
もはや嫉妬とは無縁になります。努力する自分自身の道のりを、謙虚に楽しみながら生きています。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P196


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