合わない人とは会わない [対人関係]
人間は、たくさんいます。
この日本には約一億三千万の人間がいます。こんなにたくさんいるなかで、よりによって嫌な人間と付き合う必要はありません。
嫌な人間と付き合って苦しい思いをしながら、しあわせにはなれません。合わない人とは会わないで、その間、自分がしあわせになることをやっていればいいんです。
そうすると、不思議なもので、しばらくぶりに会ったときに、仲良くしていられます。
斎藤 一人 (著)
ツイてる!
角川書店 (2004/8/7)
P124
生理的嫌悪を持っている相手に対していくら丁寧に接しても、その場で見直してもらえることはない。そして結局は、慇懃無礼なやつだと思われてしまう。
誰からも好かれるのが当然だとは思わず、ふつうに接しておいたほうがよほどいい。
「人間的な、あまりに人間的な」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
087
P034
ただ、現実問題としては、大人の社会ですべての人と仲良くしようとすると、非常に大きなエネルギーが必要です。みんなと仲良くしようとすることだけで、疲れ果ててすり減ってしまう人もいるでしょう。
実は、すべての人と仲良くする必要はありません。その人と仲良くしようとすることで自分がとても疲れるなら、そういう人とは付き合わないことも、とても大切な選択肢なのです。
P185
その場から離れることは、卑怯なことでも、負けることでもありません。
アンガーマネジメントでは、その場にいて上手に怒りの感情と付き合うことが難しければ、その場から離れることを勧めています。
これを「退却戦略」と呼びます。
イラッとしない思考術
安藤 俊介 (著)
ベストセラーズ (2014/11/26)
P179
内田(住人注:内田 樹) 今、患者さんの悪口のお話がありましたが、それも春日先生のすごいところですよね。
今の世の中で、これだけ患者の悪口を書いてある本もないんじゃないかと思います(笑)。 でも、これは正しいと僕は思うんですよ。ひとつには、「援助者のリソースは有限である」ということが前提になっているということがあります。
「すべての問題を正しい方法で解決する」っていうのは、リソースが無尽蔵にあることを前提にしています。
けれど、実際には援助者のリソースは有限だし、腹が立つことだって当然ある。性格的に短気な医者がいたって全然おかしくないし、気が合わない患者さんだっている。そういう清濁をすべてを盛り込んで、援助論としてまとめられていることがすばらしいと思いました。
春日 前略~
やたら患者さんに思い入れをしちゃう人は、「患者さんの悪口を言ってはいけない」と言うかもしれないし、また逆に「患者は自分とは違う。エイリアンだ」という冷めた目で接している人は、それはそれで患者さんの悪口なんか言いませんよね。自分の同類だと思ってないから。
内田 二〇代のころ、知的障害児施設でボランティアをやったことがあるんです。初めて知的障害児たちに出会ったときはびっくりしちゃいましたね。まったく理解できなかったし、こわかった。けれど、すぐに慣れて、相手に親しみを感じるようになりました。
つまり、最初はたんに「エイリアン」としてしか見られなかった相手が、だんだんと愛の対象になってくる。いわば「エイリアン期」から「エンジェル期」に入るわけですね。しかし、それからしばらくして、ある子がやったことで、僕はすごく腹が立っちゃって、怒鳴ったんです。「なんてやつだ。お前は人間の屑だ!」って。
僕はその瞬間、それまで自分がその子のことを人間として見ていなかったことに気がつきました。
知的障害児のなかにも、性格のいい悪い、気の合う合わないがあるという、あたり前のことが僕にはわかっていなかった。人間としてやっちゃいけないことは、知的障害児だってやっちゃいけない。
「この子たちのことを批判しちゃいけない」と思っていた、それまでの自分のアプローチが不十分だったことに気づいたんです。
これが言うなれば、「エンジェル期」から「同一カテゴリー期」ということになると思うんですが、やはりしばらくすると、「いや、同一カテゴリーというのにもムリがあるな」と気がつく。それを続けようとすると、どうしても自分が壊れちゃうんです。やっぱり、彼らと自分とはすごく違う存在ですからね。
P182
内田 自分の理解が届かない人間がいるってことが、僕も若いころはすごく悲しかったんですよ。でも、六十数億人それぞれが、誰からも理解が届かない部分をもっているということ自体が、逆に僕たちの世界の共同性、ひいては人間性みたいなものを担保いているんじゃないか。
もし互いに完全に理解が届くんだったら、世界にこんなにたくさんの人がいる必要もないんじゃないか。最近はそんなふうに、異他性にプラスの意味を付加して考えられるようになってきました。
ただ、順番で言うなら、やはり共同性に対する、根本的な確信みたいなものに支えられてないと、他者性って言葉が出てきたときに耐えきれなくなってしまうんじゃないでしょうか。そうなると、お手軽な差別主義とか、博愛主義に飛びついてしまうのかもそれません。
自分が生きているこの世界への信頼感、「自分はここに居ていいんだ」という、生きていくことへの確信のようなものがあってはじめて、他者のことが、異他性のことを考えられるんじゃないかと思います。
逆にいえば「こいつはエイリアンだ」とか「俺の居場所はここにない」といった感覚から出発しちゃうと、自分の理解が届かない他者との共存を考えるのってむずかしいですよね。
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
- 作者: 春日 武彦
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2020/06/03
- メディア: 単行本
P92
歳をかさねたら、何も積極的に社交をしなくてもいいのではないでしょうか。社交的付きあいを、無理しながらつづけるほうが、心に弊害があると思います。付きあいが多いと、ついつい、自分と他人を比べるという傾向になります。
~中略~
一度、独(ひと)りになって、自由に、自分の行く末を、そして世界を眺めなおして見るとこれまでに気づかなかった人生の楽しみが、必ず目にはいってくるように思います。
P93
この本(住人注;「孤独のすすめ」(中公クラレ))を書きながら、つくづく感じたことは、私たちの社会は、一般的に孤独は悪いことだという、固定観念で動いているということでした。
世の中は、人は独(ひと)りでは生きられない、歳をとったら、何かしら無理をしてでも、社会的活動に参加をしようというのが風潮です。
~中略~
しかし、「人は孤独では生きていけない」と脅迫観念に駆られて、無理して人の輪の中にはいっていく必要もないのではないか・・・・・そう思うのです。
要するに、自分の居心地の問題なのです。独りでいることが苦痛でなく、居心地がよければ、雑音を恐れずにそうすればいいし、やはり人との絆がほしいと熱望すれば積極的につながればいいと考えているのです。
百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
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