悪口を以て僧を呵嘖し毀呰(きし)すること莫れ。 [教育]
悪口を以て僧を呵嘖し毀呰(きし)すること莫れ。
設(たと)ひ悪人不当なりとも左右なく悪(に)くみ毀(そし)ることなかれ。
先ずいかにわるしと云とも、四人巳上集会しぬればこれ僧体にて国の重宝なり。
最も帰敬すべきものなり。
若(もしく)は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、弟子不当ならば慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし。
其時設ひ打つべきをば打ち、呵嘖すとも、毀呰謗言の心を発すべからず。
懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P24
永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。
子弟をおしゆるに、いかに愚・不肖にして、わかく、いやしきとも、甚しく忿(いかり)の罵りて、顔色とことばをあららかにし、悪口して、はづかしむべからず。
かくの如くすれば、子弟、わが非分なる事をばわすれて、父兄のいましめをいかり、うらみ・そむきて、したがはず、かへつて、父子・兄弟の間も不和になり、相やぶれて、恩をそこなふにいたる。
只、従容(しょうよう)として、厳正にをしえ、いくたびもくりかへし、やうやく、つげ戒むべし。
是子弟をおしえ、人材をやしなひ来す法なり。
>>>従容
和俗童子訓 巻之二
総論 下
養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P234
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