真理を見る者は私をみている [宗教]
P198
イエス
イエスは言われた。「私は道であり、命である。私を通じてでなければ、誰も父のもとへ行くことはできない。フィリポよ、今までずっと一緒にいたのに、まだ私のことをわかっていないのか。
私を見る者はみな父をみたのだ。なぜ「私たちに父をお見せください」などと言うのか。私はあなた方をみなしごにはしない。あなた方のもとに戻ってくる。もうすぐ世は私を見ることができなくなるが、あなた方には私が見える。私が生きているので、あなた方も生きるからである。
その日には私が父の中におり、あなた方が私の中におり、私があなた方の中にいるのが分るだろう。
私の戒律を受け入れ、守る者は、私を愛するものである。私を愛する者は私の父に愛される。わたしも彼らを愛し、彼らの前に姿を示す」
ヨハネ伝
P199
ブッダ
たとえ修行者が私の衣の端を握り、私に一歩一歩ついて歩いたとしても、心が強欲で、軽率で、自制心に欠けていれば、彼は私から遠く隔たっているし、私も彼から遠く離れている。
なぜそうなるのか。弟子たちよ、その修行者は真理(ダルマ)を知らないからである。真理を見ない者は私を見ていないのである。
たとえ修行者がはるか遠くにいたとしても、心が強欲でなく、激しい執着を持たず、他人の不幸を喜ぶ気持ちがなく、邪悪な心を持たず、沈着で、平静で、思慮深く、気持ちの抑制がきいているならばー彼は私に近しい者であり、私もまた彼のそばにいる。
なぜそうなるのか。弟子たちよ、その修行者は真理を知っているからである。真理を見る者は私をみているのである。
イティヴッタカ
今枝 由郎 (翻訳), 鈴木 佐知子 (翻訳), 武田 真理子 (翻訳), マーカス・ボーグ
イエスの言葉ブッダの言葉
大東出版社 (2001/10)
その惨憺たる景観だけを心中にクローズアップして、目前の美しい姿に目をつぶるのもまた偏見です。いつまでも美しいと思うのも真実に逆らう倒見です。
正しい認識は、表面の美しさをすなおに美しいと見るとともに、その底にある空しさをも見つめることです。
また、逆に、永遠に美しいものはないのだと、見すえながら、しかも目前の美しいものを、すなおに美しいと見るのが、「観音さま」に象徴される観るはたらきです。
松原 泰道 (著)
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵
祥伝社 (2003/01)
P161
般若心経入門 価格:600円(税込、送料別) |
P255
池上氏と仕事をしていると新約聖書の次のフレーズが頭の中で何度も響いた。
〈あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする〉(「ヨハネによる福音書」八章三二節)
新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P1
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