刀は「カタナ」以上でもなく、以下でもない [ものの見方、考え方]
「このごろ、自分は兵法者であるという触れこみで世を渡っている者があるが、実は彼らのいう兵法とは剣術のことだけである。~略~」
~中略~
鹿島・香取の社人が「兵法伝授」のことばのもとに剣術を教え、それが世渡り術の一種となってゆくとき、兵法がふくむべき多くの課題は剣一本に閉じ込められることになった。
これは兵法の矮小化であり、同時に、要するに道具であるにすぎない一本の剣に、あたかも兵法のすべてがこめられているというような過大評価をする盲目の精神主義ともなる。
この両面を見事に彼は衝(つ)いた。
物を大事にすることと執着するのとでは、まったく意味がちがう。おそらく武蔵は、剣そのものにさえさほど執着する気持ちになったことはないのだろう。
奈良本 辰也 (著)
宮本武蔵 五輪書入門
学習研究社 (2002/11)
P49
西大寺本堂1
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