雛祭り [雑学]
雛祭りの起源は遠い古えにさかのぼっています。身の清めの式としては人は河水に禊して身をきよめたのでありましたが、時代を経るにつれ、非情の物で人の型を作ってこれに替えることと致し、何なりと身近かな大切なものをとって、陰陽を型どって二つの型をつくることにいたしました。~中略~
そして、それを男女二つにして家族を代表させました。これが紙びなさまになったのでございます。
やがて、支那文化をもとり入れ全国にわたって、清めの日を定めることとなり、陰暦の三月の最初の巳の日がそれときまりました。
この、蛇虫の脱皮時期は、闇の冬から希望と光明の春に入るということを象徴していたわけでございます。
~中略~
杉本 鉞子 (著), 大岩 美代 (翻訳)
武士の娘
筑摩書房 (1994/01)
P290
法華寺御守犬
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また雛祭りが実際的に役立たされたのは封建時代になってからのことでした。当時の武士の家庭では、主人は一身を主君に捧げ、いつなん時でも君の馬前に討死の覚悟をいたしておりましたので、主婦は留守がちな主人の分まで負わなければなりませんでした。
それで、子女の教育は教養の高い侍者の手にゆだねられることになりました。こうして、女の躾の中でも大切な家事を仕込むには、この雛祭りがこよなき機会となったのでございます。
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