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システムの崩壊 [日本(人)]

 戦後の日本は、そういう伝統的なシステムをことごとく破壊してきました。
しかし破壊の後により良いシステムが生まれなければ、破壊の意味はありません。
戦後六十年経っても、まだそれに代わる新しいものが生まれていないということならば、過去においてこういう完成されたシステムがあったという事実は再評価されねばなりません。

岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P83

-62f59.jpg佛谷寺 2
教養のすすめ

教養のすすめ
価格:1,470円(税込、送料別)

P177
澤口 今の日本の社会は、そういう群れ社会の共生戦略的なメリットがことごとくなくなっているんですよね。
だから、教育としつけの義務は両親の肩だけにずっしりとのしかかっている。それではヒト本来、サル本来の普通の子育て環境とはとてもいえません。

 今、問題になっている子どもたちっていうのは、そういう「ヒトとして普通でない」社会で育ってきたんです。
核家族化が進んでいくなかで、父親も母親もそれを「いいことなんだ」と信じている。
そういう環境で育ってきたのが、オヤジ狩りのの中学生とかヤマンバギャルなわけでしょう。今の15~25歳の子どもたち、いわゆる団塊の世代の子どもですよね、やっぱり。

伸坊 そうです、まさにそうですね。僕なんかの世代からですね。
澤口 団塊の世代というのは、日本の伝統はよくない、欧米的生活を目指そうというのをいちばん極端にやっちゃった人たちですよね。まさにモンゴロイドの進化を逆行してコーカソイドの真似を、それも間違った方向でしてしまったいう。
~中略~

澤口 食事まで否定してしまいましたからね。脳にはそれがいちばん直接的な打撃だったかもしれません。

P179
澤口 もちろんアメリカでも核家族化や少子化の問題はあります。一番問題だったのは離婚が多かったことで、両親がいないため情緒的に不安定になったり、社会的に問題行動を起こす人が増えた。これは統計的事実です。

 あの国の場合は、いろいろな生活環境の人がいる。私がいうまでもなく、みなさんご存知だと思いますけど、上下層の生活レベルの差が大きいでしょ。いまはその差がさらに大きく、両極端になっていると思います。核家族化を反省して社会的な問題をなんとかなくそうとしているけれど、それがなかなかできない層も現実にある。離婚や貧困が蔓延しているギスギスした社会っていうのが現実にあるんですね。
アメリカの社会病理みたいなものの多くはそういう層の、とくに都会で起こっているんです。いちばん顕著なのはチャイルド・アビューズ(幼児虐待)です。
10年以上前から大問題になっています。

 今の日本の問題っていうのは、そういうアメリカの暗い側面の、しかも10年~20年前の現象をなぞり始めているように見えるんですね。

P50
伸坊 となりの芝生は青い、って言いますが、そのお隣りっていうのが、TVはある、冷蔵庫はある、掃除機はあるっていう「理想の生活」をしていると、戦後の日本人には映ったんですね。
ぜんぶ揃えてみたら、なんか昔のほうがよかったような気がする、って思っている人多いかもしれません。
生活だけでなく、子育ても、アメリカ式が「進歩的」だった。あの頃進歩的は無条件に善でしたからね。

平然と車内で化粧する脳
澤口 俊之 (著), 南 伸坊 (著)
扶桑社 (2000/09)

 

P37
 へんな言い方になってしまうけど、「逃げる」ということをシステマティックに考えていたことでかえってまずいことになったケースもあったんだと思う。
「想定外」の事態に対しては、事前に「想定」していた避難のシステムなんて、ちっとも役に立たないわけでしょう。
てんでんばらばらに、自分の本能に従って逃げたことで助かった人がいた一方で、冷静にシステマティックに考えた人はむしろ助からなかった。そんな面もあったのではないか。
池田 清彦

P138
いくら安全なシステムにするといっても、絶対安全なシステムなんて、絶対にないんだよ。
なぜなら、人工的なシステムの特徴は、必ず壊れるということなんだ。むしろそれは人工的なシステムの定義といってもよい。
だから、システムを作ってそのシステムに頼るのではなくて、むしろ、システムが壊れたときにどうするかを考えないと、知的怠慢だよね。
池田 清彦

P139
池田 やっぱり、人間が刹那的になったということはいえるよね。自分さえよければいい、自分が生きているときだけよければいいとなると、過去のことも未来のことも考えなくなるでしょう。

江戸時代の人は、先祖の墓を守ることで過去を考え、自分の世継ぎが大事だと思うことで未来のことを考えていた。

養老 持続的によくできていた。

池田 将来がどうなるかということを自分の生きているうちに考えなければいけない仕組みになっていたのですね。
現代人はそうではない。
自分の子孫のことですら、子どもの人生は子供の人生ですとか、子供と親は別人格です、とか言って、つまる自分が死んだらあとはもう関係ないという傾向が強くなっている。

 官僚はもっと刹那的で、自分の在任中に問題が起きなければ、あとはしったこっちゃない。
担当が替わったり、辞めてしまったあとには、責任をとらないわけだから。

 そう考えると、江戸時代の世継ぎの仕組みのほうが持続性も系統性もあったといえるかもしれないね。

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)

P166
現代の日本人には「鏡」(住人注;母親的愛情、共感)「理想化」(住人注;尊敬できる対象)「双子」(住人注;仲間と一体であるという安心感)という三つの自己対象がいずれも不足していると私は思います。
そのために心のコンディションを崩し、病気にまではならないものの、漠然とした不安や疎外感を抱えながら暮らしている人が大勢いるのではないでしょうか。
 まず「鏡自己対象」に関していえば、そもそも親の愛情を十分に受けずに育つ子供が昔より確実に増えています。
コフート自身が言明しているように、世界的に見ても、かつては親の過保護に起因する心の問題がメインでしたが、現在は愛情不足による病理が目立つ傾向があるのです。
 その背景には、働く女性が増えたこともあるでしょう。~中略~
 また、これは女性の社会進出とは別の問題ですが、親自身の自己愛が未熟なために、子供に十分な愛情を注ぐことができず、ひどい場合は虐待に走ってしまう人も増えている印象です。
 その結果、子供は成長しても自己愛が成熟せず、世の中を恨むようになったり、人間関係上の軋轢で苦しむ人が増えているのではないかと思います。
 さらに学校教育の現場でも、子供たちが先生に褒められることで自己愛を満たされる体験が、昔よりも減りました。「キミはすごいね」と子供を褒めるのは、とうぜん「あなたは他人より優れている」と認めることにほかなりません。
しかし、いまの教育現場は、平等意識が強いあまり、生徒に差をつけることを嫌います。

P170
 しかも現代社会は、自信を失った人たちに安心感や生きる方向性を与えてくれる「理想化自己対象」も不足しているように見えます。
 昔の社会には、誰からも尊敬される人物が身近なところにいました。たとえば学校の先生が「村いちばんのインテリ」だった時代は、そんなに遠い過去の話ではありません。
大学に進学する人が少なかった時代は、師範学校を出た先生のことを地域の大人も子供も素直に尊敬していました。
 ところが、大学に行くのが当たり前の時代になると、そうはいきません。「教師にでもなるか」「教師ぐらいにしかなれない」という「デモシカ教師」が増えてきたこともあって、もはや学校の先生に権威を感じる人はあまりいないでしょう。
~中略~
 昔の学校の先生は、良くも悪くも権威があったので、保護者が文句をいえる相手ではありませんでした。むしろ「うちの子が悪さをしたら遠慮なくぶん殴ってやってください」」とお願いするような存在だったのです。
 また、家庭における父親の権威も、おしなべて昔のほうが高かったといえるでしょう。
昔の子供たちにとって、父親は「何をしているかよくわからないけど偉い人」でした。
~中略~
 しかも、母親は「お父さんにいいつけるわよ」と夫の権威を利用するのではなく、逆に「そんなことしていると、お父さんみたいになっちゃうわよ」と夫の権威を踏みにじるようなことを平気でいうようになりました。
これでは、失敗して落ち込んでいるときに「大丈夫だ」と励ましてくれる理想化自己対象にはなないでしょう。
 さらに、会社の上司もずいぶん変わりました。昔は「オレについて来い」的な親分肌の上司がいたものですが、いまはそういうタイプがあまりウケません。
~中略~
 人々の身近にそういう理想化自己対象がいないことは、社会全体にとってもあまり良くありません。  人間は弱い生き物なので、「理想の極」を満たしてくれる存在なしでは、安心して生きることができないでしょう。
それが身近に見当たらない人が多ければ、強くて頼りがいがありそうな政治家や宗教家などが人気を集めることになるのです。

P175
 現代の日本人にとって、心の健康をもっとも脅かすのは、もうひとつの自己対象である「双子」の欠如だと私は見ています。
すでに述べたとおり、引きこもりや依存症などの心の不調の多くが、他人に「わかってもらえない」ことから来る疎外感に起因していると考えるからです。
~中略~
 自分の価値観をはじめとする主観世界にリアリティが持てないがゆえに、周囲の人たちに合わせてしまう人が多くなっていることは、本書でもすでに何度か指摘して来ました。
それによって「みんなと同じ人間だ」といいう安心感は得られるのでしょうが、そこで共有されている価値観は「建前」にすぎません。
 そうやって疎外感をまぎらわす人ばかりが増えれば、ますます建前論が力を持ち、人々の本音が抑制されます。
表面的には誰もが他人と仲良く暮らし、孤独ではないように見えるでしょうが、心の深い部分では疎外感が膨らみ、「自分らしさ」を感じられない人が増えるでしょう。~中略~
 今の世の中、教育現場では「個性重視」が謳われ、「価値観は人それぞれ」などと多様性の大切さを口にする人はたくさんいますが、現実には決してそうはなっていません。 たとえば「ゆるキャラ」にしても、各地方にたくさんいるにもかかわらず、「くまモン」と「ふなっしー」が人気を二分しているじょうたいです。
~中略~
自分の本音がどこにあるのかわからず、「みんなが投票する候補者に投票する」ような有権者ばかりになったら、どうなるでしょう。
実は誰も面白いと思っていないギャグが流行語になるのと同じように、実は誰も求めていない党派が権力を握り、社会の意思決定を行っていくことになる可能性だって、ないわけではありません。

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門
和田 秀樹 (著)
青春出版社 (2015/4/16)

P15
自分はサービスを受ける消費者であり、デパートやホテルの客と同じである。ちゃんと医療費も払っている。なのに、なんだこの扱いは。デパートの売り場で、ホテルの受付で、怒鳴っている客をみかけるのはしょっちゅうであろう。
同じことは、医療現場も起っているということは、今更私が言うほどのことでもない。~中略~
ただ、過剰な、もしくは誤った権利意識を弱者に与えても、何にもならないどころか有害である。人間性とはそういうものではないかという、極めて当然のことを提示しているのに過ぎない。
 救急などの例外を除き、診療において医者として私が最初にしなければならないことは、患者の信頼を得ることである。
あなたは、自分より立場が弱い、身分の低い、ぺこぺこ頭を下げるものを信頼して、身体を任せることができるのか。信用できないからまた怒鳴ったりひっぱたいたりすることにもなるのではないか。まだそれでも医者は、伝統的な「権威」に多少とも守られているからよい。看護婦や、病院事務職員に対する一部患者の態度は、目を覆うばかりである。
私は、自分の子供や身内が、医者や看護職につきたいと言ったら、やめろと言うことにしている。理不尽な要求にさらされ、感謝もされず、挙句何かミスしたら刑事罰に問われるような割に合わない仕事に、進んで就くことはない。 P18

仮に百人の医者のうち、一人がとんでもない奴だとする。あなたが患者として出会う医者は、普通一人、せいぜい二、三人、そうすると、二人の医者に会ってそのうち一人がモンスターである確率は約二パーセントである。
一方、医者は常に百人や二百人の患者を診ている。うち同様に一パーセントがモンスターだとすると、大多数の医者は、また看護婦は、病院事務職員は、連日モンスターに出くわす。そういうのが一人でもいると、いかにストレスになるか、容易にお分かりいただけると思う。
~中略~
間違った権利意識が問題行動に、さらにはシステムの崩壊につながることは、教育を見れば分かる。生徒と教師を同格同権という立場においたために、何が起こったか。そもそも「教わる」側は、それは金を出して教えてもらうにしたって、「教えてくれる」側への尊敬がなくて、何が身につくものか。
また、「教える」側の目的が、「教わる」側からの報酬のみ、になったとき、その職業倫理は保たれると考える方が不思議であろう。かくして教育が崩壊したのだから、その結果出てくる人間の質が低下すると、さらに「おだてられるとつけあがる」人間が多くなり、他のシステム崩壊に拍車のかかることは自明である。

偽善の医療
里見 清一 (著)
新潮社 (2009/03)


「世の中というのは、これ、生きものだよ」
と良運さん(住人注;藩の御殿医小山家惣領息子(そうりょうむすこ)小山良運。適塾にまなび、数年して長崎に遊学した。単に医学だけでなく、蘭書を通じてヨーロッパ情勢や兵学、物理学、法律、経済に通じている)はいった。
良運さんのいう世の中とは、社会という意味だろう。社会というのは生きもので、それを生かしめているのは、制度、法律、習慣、道徳の四つである。
「人間はえらそうな顔をして手前(てめえ)で生きているつもりだろうが、世の中に生かされているだけの生きものだよ」
「だから、どうなのだ」
継之助は言った。
「だからうかうか世の中を改革しようと思っちゃ、いけねえということだ。世の中の制度や習慣をうかつに触って弄(なぶ)っては、そこに住む人間が狂うか、死ぬ。人間どもはそうされまいと思って気ちがい沙汰の抵抗をするよ」

峠 (中巻)
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (2003/10)
P180




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