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女性像の転換点 [雑学]

毛利輝元は小早川秀秋の妻に正室の心得を教諭した。~中略~(原文八ヶ条のうち六ヵ条のみ示した)


一、いかにもおとなしく心を持つ事。だからといって、結構立てばかりでも良くありません。中納言殿(小早川秀秋)が御上(奥)へお出での時は、ひらりと色顔良きように心を持ち、ふくさに軽くあるべきこと。


一、中納言殿が仰せの通りの心持ちにして、少しも仮そめにも逆らってはなりません。この事は肝要です。


一、大名の女房たちが来訪した時も、結構に「さすが」と思われる言葉をかけ、ふくさに会釈をする事。


一、勿論ながら、中納言殿を大切に思う心持ちが肝要です。中納言殿は利根者であり、「とろ」は嫌いのはずです。その心がけをする事。


一、ごもじの心持ちで中国に名をあげることができるので、その心得が肝要です。

 

                       


                  

                  福田 千鶴 (著)

                  江の生涯―徳川将軍家御台所の役割

                  中央公論新社

                  P243

-94cbb.jpg一心行の大桜

~中略~
とろ(緩やかなこと)
~中略~
「ふくさ(袱紗)」とは「柔軟な物」のことで。「温和でやさしい人」のことを「ふくさなひと」という(「日葡辞書」)。

~中略~
天正十八年(1590)に豊臣秀吉が天下統一をはたす過程で、東西の諸大名の妻や娘たちが上方に人質として集められた。
その結果、地方出身の女性たちは、男顔負けの正論を述べ、強い自己主張をする上方女性―都風の女―に接し、これが地方出身の女性たちにも伝播していくことになった。
こうした風潮に顔をしかめる男たちが、昔風の女に戻れと説教しているのである。
~中略~

 このように、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、中央と地方、京都と鄙(ひな)の間で生活文化圏が全国規模で混淆したことによって、それぞれの既存の価値観が互いに優劣をきそいあっていた。
女性はこうあるべきという価値観―女性像―も例外ではなく、大きな転換点に立たされていたのである。
とくに武家社会では二つの女性像のはざまで、いかに女性はあるべきか、ということを男も女も模索していた。

福田 千鶴 1961年(昭和36年)、福岡県に生まれる。九州大学大学院文学研究科博士後期課程中途退学。博士(文学、九州大学)。専攻、日本近世政治史。東京都立大学人文学部助教授などを経て、九州産業大学国際文化学部教授

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