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親という存在 [家族]

玄侑 涅槃図について私が感じるのは、マーヤ夫人が薬袋を投げていますよね。薬袋はたいてい赤で描かれていますが、この薬袋を投げてよこしたところが母親という存在なんだなと思うわけです。
おそらくもう助からないのに、薬袋を投げないではいられない。
こういう言い方をすると泰道先生(住人注;松原 泰道)にお叱りを受けるかもしれませんが、無駄な努力をするのが親だったりする。
無駄というのは、世間から評価されないことで、それでもやってしまうという愚かさが親という存在なのだと思います。

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P142

-8cb32.jpg龍蔵寺10
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 自分自身に欠けていたものが息子に実現されるのを見ようとするのは、すべての父親の敬虔な願いである。
ゲーテ

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P244

 
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