専門家の社会的責任 [社会]
科学者・技術者の役割は、安全を保証したり、役に立つと強調したりすることではなく、科学・技術の限界を語り、それを超えれば科学・技術は災厄となりうることを常に語る習慣を身につけることである。
科学・技術の所産は二面性があり、人類の利得にも災厄にもなる。利得ばかり語る科学者・技術者は失格なのである。
専門家の社会的責任
池内 了 (名古屋大学名誉教授)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P56
P209
「ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。漁民が漁業をする権利や、他の手段によって生活をする可能性をつぶしてしまう」
「巨大権力集中型のエネルギー社会システムを否応なしに生み出していく。人間と自然の関係も一方的になり、人間がなんの権利もないのに、動物や植物に対して絶大な危害をおよぼしていく」
「人間と他の生物が共有すべき二一世紀にむかっては、そういう人間の側の一方的な押しつけになる技術を減らしていくのが、われわれのなすべきことはないか」
(原子力資料情報室を創設した高木仁三郎氏の遺著、小説「鳥たちの舞うとき」工作舎)。
メディア批評 第41回
神保太郎
- 作者: 仁三郎, 高木
- 出版社/メーカー: 工作舎
- 発売日: 2000/11/20
- メディア: 単行本
しかし、原子力がかっての輝きを失い、さまざまな深刻な問題が見えてくるなかで、原子力を学ぼうととする学生は減りつづけていきます。七帝大からも原子力原子力工学科、原子核工学科は、すべて消えてしまいました。原子力を専攻する学生がいなくなってしまっています。これは非常に危機的だと思います。
~中略~
また、四〇年以上も原子力発電を続けてきたために、膨大な量の放射性廃棄物がすでに残されています。さらに、原子力発電所自体が廃炉になっていきます。
それらを安全に処理していかなければいけません。そのためには、必ず専門的な知識をもった人が必要なのです。後始末のために学問をやるということに希望はないかもしれません。しかし、どうしても必要なのです。
ブラックアウトは何故起きたか
小出裕章 (京都大学原子炉実験所)
世界 2011年 06月号
岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)
P59
職業や専門職を意味する「プロフェッション(Profession)」という英語は、ラテン語で「公に確言した」を意味するプロフェッスス(Professus)からきている。
専門職は、ずっと昔に宗教の中で生まれ、やがて医療や法の世界に広がった。
秘密の知識を身につけた者は、その知識の実行を独占する権利を得るだけでなく、自分の力を賢く正直に使う義務を負ったとされる。
宣誓は―口頭であれ書面であれ―知識の使い手がみずからの行動を規制するための心覚えであり、専門職の義務を果たすさいに従うべき規則を示すものでもあった。
こうした宣誓は長いあいだつづけられたが、一〇六〇年代に、専門職の規制緩和を求める大きな運動が起こった。専門職はエリート組織であり、日中の光にさらけだすべきだと非難された。
これは法律の専門職にとって、平易な英文で書かれた摘要書が増え、法廷にカメラがはいり、宣伝活動が必要になることを意味した。
医療や銀行業をはじめとするそのほかの専門職にも、同じようなエリート主義対策がとられた。
大半は有益だったが、専門職が解体されて失われたものもある。
厳格な専門意識は、柔軟で個人的な判断、商業の原則、富への欲求に取ってかわられ、それとおもに、専門職が基盤としてきた倫理や価値観の基準が消えてしまった。
予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P365
予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
- メディア: ペーパーバック
プロの研究者に求められる態度とは
現状で科学者としての立場で意見を述べるのであれば、「科学的な水準の研究論文がほとんどないので、関係についてあるのかないのかはっきりしたことはいえない」というのが誠実、ということになります。
つまり、ABO式血液型と性格の関係については、「科学的な根拠はほとんどないですよ」というと同時に「明確に否定する科学的な根拠もほとんどないですよ」ともいわなければいけないのです。
「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
宮川 剛 (著)
NHK出版 (2011/2/8)
P166
「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)
- 作者: 宮川 剛
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2011/02/08
- メディア: 新書
マネジメントの立場にあるものはすべて、リーダー的地位にあるグループの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。すなわち責任の倫理を要求される。
プロフェッショナルの責任は、すでに二五〇〇年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきり表現されている。
「知りながら害をなすな」である。
プロたるものは、医者、弁護士、マネージャーのいずれであろうと、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。
しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となるものが、プロたるものは知りながら害をなすことはないと信じなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)
PP113
P131
専門家は特定のリスクだけを深く分析するという特権を(あるいは義務を)享受している.
そうでない一般の人びとは,日常生活で多様なリスクに遭遇し,立ちはだかるすべてのリスクに(できれば専門家なみに)対処しなければならない.
~中略~
一般人は専門家のような知識はもたないし,またその必要もない.現実の問題に対して有効な決定を下すのに十分な知識があればそれでよいのである.
専門家と同様に,どのリスクから対処するかを判断するため,リスクの大きさがわかればよいし,また,そのリスクに対して何ができるのか(できないのか)を理解するため,リスクの発生原因がわかればよい.
しかし,そのような知識がない場合,一般の人びとは専門家の主張を鵜呑みにしたり,あるいは専門家の見解の不一致のため(たとえば,原子力発電や遺伝子組換え作物,電磁波の人体への影響についてそうであるように)混乱の中におき去りにされてしまうのである.
リスク 不確実性の中での意思決定
Baruch Fischhoff (著), John Kadvany (著),中谷内 一也 (翻訳)
丸善出版 (2015/4/26)
ぼくに限らず、ほとんどの科学者はものすごくクローズドな世界にいて、極端にいえば学者仲間とのコミュニケーションだけで仕事が回っていきます。
専門家に向けて専門用語を使って論文を書き、それを同分野の専門家に査読してもらって批判を受ける。
企業や国から研究費を得るときは、やっぱり専門家に審査してもらって「これはいいアイディアだからお金を出してあげたらいいでしょう」と評価してもらう。
つまり、ぼくらのコミュニケーション能力がもっとも発揮されるのは、専門家を説得する時なんです。
一般の人たちにアプローチするのは、せいぜいプレスリリースを出す時ぐらいだから、基本的には、専門知識のない人と対峙するということがほとんどありませんでした。
あとがき
早野 龍五
知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P170
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