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生き方を変える [社会]

P194
 しかし、(住人注;都知事選挙の)候補者それぞれの主張を聞いて愕然とした。
ほとんどの候補者が「災害に強い町を作る」と力強く語っていたからだ。
災害に強い町とは、現行の仕組みの上に成り立つ町のことだ。彼らはまだ、湯水のように資源を使い、エネルギーを消費する社会を基盤として政治をしようとしている。そうじゃないだろう。

なぜ、「いま、この事態を機に、私たちの生き方を変える。そのために立候補した」と言えないのだ。
これでは原発の風下の悲しみはいつまでたっても終わらない。

風下の悲しみ、再び──プリピャチと南相馬
  高橋卓志 (神宮寺住職)

P248
 根本から考えてみようじゃないか―二〇世紀は原子力(核分裂エネルギー)の世紀だった。
核分裂を破壊的な戦争力に使ったのが<原子爆弾>、産業力に平和利用したのが<原子力発電所>だ。コインの裏表、もともとは同じ原子の火である。

それなのにわれら日本人は大東亜戦争でそのアメリカ<原爆>に敗れ、いままたこの大震災でアメリカ・モデルの<原発>事故に敗れつつある。
一度でもうコリゴリなのに二度も原子の火を浴びた。
わたしはこれほどお目出度い愚かしい国民・民族性は世界にないんじゃないかと思う。
だって八月一五日に、わたしたちは原爆慰霊碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と血涙の誓いをして戦後平和民主主義へと出発したのではなかったか。
ノー・モア・ヒバクシャ(被爆者)!とも叫んだ。

だがいまこの福島原発事故から発生しつつある放射能「ヒバクシャ」(被爆者)の出現に、ヒロシマの死者の霊は一斉に眠りからさめ、慟哭し怒り騒ぐだろう。死者に顔向けできない。わたしらは過ちを繰り返したのだ。

 だとしたら、これは単に福島原発「廃炉」、放射能浄化運動の復興物語だけで終わらせるわけにはゆかない。
戦後日本の「平和のかたち」=経済大国化の物語を再点検せねばならないだろう、なぜなら、日本経済繁栄の最大のインフラは日米安保軍事同盟の<核の傘の下>の平和産業ビジネスでありサラリーマン企業戦士であり、原子力発電による電力供給(総電力の三割)であったからだ。
戦後平和ニッポンの裏側はまるっきり”核漬け”だったのだ。
しかも、「福島第一原子力発電所にずらり並んだ原子炉でできた電気はみな、東京に送られています」(朝日新聞 三月二六日、前岩手県知事・増田實也)。

だからもし東日本の復興がそうした大東京中心主義=「核との共存」社会の復旧にすぎないのであれば、わたしたちはこの二一世紀の世の中に極めて古臭い二〇世紀的な国民国家を復活させることになる。時代錯誤という他はない。

西へ、南へ!──そして新しい反核平和の声を
  吉田 司 (ノンフィクション作家)

世界 2011年 05月号

岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)

世界 2011年 05月号 [雑誌]

世界 2011年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 雑誌




 

  -41eed.jpg長野市若穂保科 清水寺(せいすいじ)観音堂2

P90
東京など首都圏の人間は福島や新潟を犠牲にして電気を消費してきた。電気というのは、送電する距離が長ければそのぶん少しずつ減衰してしまうから、発電所と供給先はほんとうなら近いほうが効率がよい。
それでいうと福島は遠すぎる。にもかかわらず、福島や新潟から電気を送らせるようにしていたのは、危ない原発はできるだけ東京から遠ざけたいということでしょう。
~中略~

 双葉町みたいな小さな町なら、そこだけにカネを渡してまるめ込めばいい。国は、全国の他の地域では、市町村合併をどんどん進めて、へんてこな名前の市とかをいっぱい作っておきながら、一方で、原発がある町については合併させない。
そのほうがコントロールしやすいからだよね。
 それでわりを食ったのは、近隣の市町村だよ。原発が自分のところにできた町にはカネがいっぱい落ちた。
近隣の町は、カネももらえなかったし、それなのに原発事故の影響をもろに受けるしで、何もいいことがないんだよ。
池田 清彦

P97
池田 そういった放射性物質で汚染されてしまった福島第一原発の周辺の土地を、今後、どうするつもりなのだろうか。
人は住めなくなってしまうよね。原爆が投下された広島にその後も人がちゃんと住んでいるじゃないかという人もいるけれども、たとえば、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体一本で広島原爆でいえば約三十発分の放射能がある。
つまり潜在的には原爆よりも原発の方が放射能汚染の危険性はずっと高い。

P59
 日本の輸出入を活発にしなければならないという考えは、ほとんどノイローゼに近いと思う。
このノイローゼの根本にあるのは、やはりエネルギーですよ。石油を買わなければいけないという脅迫観念があるからです。
そうまでして無理に石油を買わなければいけないぐらいなら、石油を使わなければいいじゃないか。
石油を使わないってことは、働かないで済むってことなんだよ。そのほうが楽ではないのか。
養老 孟司

P123
 たしかに、「不景気になる」とか「産業がダメになる」という話が間違っているわけではなくて、相応の電力は要るでしょうから、それはわかる。
けれども、夏の暑い盛りにクーラーをみんなががんがん使ってテレビで甲子園の中継を見ているような状況に合わせてまで電力供給の義務云々言っているのはむしろエネルギーの事を本気で考えていないということなのではないですか。
養老 孟司

P124
養老 右肩上がりの経済をやってきたなかで、エネルギーをどんどん使っていかなければならないというのは、脅迫観念に近い。
でも、それは無限には続けられないんだということは誰でも少し考えればわかることでしょう。

P134
 いままでのモノサシで考えるから、日本が一流国から二流、三流に転落していくというふうに思ってしまうんですけど、明治以来やってきたそういう上昇・拡大路線をもういいかげんに変えたらいいんじゃないか。
僕は前から言っているように日本は何でも世界の六十分の一でいいとおもっているんです。
世界人口の六十分の一ほどの日本人だということを考えれば、世界における日本のコントリビューション(負担部分)は六十分の一より出張る必要も凹む必要もない。
エネルギー消費も、生産も、世界の六十分の一を基準に考えれば、それが「人類の当たり前」というラインに落ち着くことになるでしょう。日本が「大国」であってもそれと人間としての幸福は別でしょう。
養老 孟司

ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)

ほんとうの復興

ほんとうの復興

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: 単行本



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