病牀六尺 [医療]
脳梗塞の発作の後、今まで何気なくやっていたこと、たとえば歩くことも、声を出すことも、飲んだり食べたりすることも突然出来なくなった。
自分に何が起こったのか理解できなかった。
声を失い、尋ねることも出来なかった。叫ぶことすら不可能な恐怖と絶望の中で、死ぬことばかり考えて日を過ごした。
呻き声だけが私に出来る自己表現だった。自死の方法を考えて毎日が過ぎた。今思えば危機一髪だった。
でもこうして生きながらえると、もう死のことなど思わない。
苦しみがすでに日常のものとなっているから、黙ってつき合わざるを得ないのだ。
時には「ああ、難儀なことよ」と落ち込むことがあるが、そんなことでくよくよしても何の役にも立たないことくらいわかっている。
受苦ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである。
病気という抵抗をもっているから、その抵抗に打ち勝ったときの幸福感には格別のおのがある。私の毎日はそんな喜びと苦しみが混ざりあって、充実したものになっている。
寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P128
病牀六尺 http://www.geocities.jp/kyoketu/8203.html
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