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リハビリテーションからみえる日本の医療水準 [医療]

 ここでリハビリについて考えておこう。リハビリには三つのカテゴリーがある。
歩く練習を中心にした運動の訓練Physical therapy (PT、理学療法)と、日常の仕事を中心とした訓練Occupational therapy(OT、作業療法)と、言語療法Speech therapy(ST)である。
この三つがなければリハビリとはいえない。アメリカではその三つがうまく機能するように、リハビリテーション医学が独立した臨床科学として成立している。

 しかし、日本では整形外科が中心となったリハビリテーション医学が、最近まで主流となっていたため、言語療法などは重視されなかった。ごく最近まで、整形外科的な病気、骨折後のケアーとかリウマチの手足の機能回復などマッサージに毛の生えたようなリハビリが主であった。
 東京大学でも、リハビリテーション科が独立したのはごく最近である。それもPT,OTだけでSTはまだない。
 その他の国立大学でも、事情は似たようなものである。むしろ一部の私立大学で、先見性のあるリハビリテーション医学が実現している。理由は、この医学が、地味な努力の積み重ねで成り立つので、古い体制を打破する力になりにくかったからであろう。
外科や一部の内科のように派手な科目ではないし、病院の収入源にもなりにくい。
~中略~

 一般市中病院では、一部優れた設備と高邁な理想で高度の治療が行われてはいるが、それは例外的なもので、一般の医療機関で水準の高いリハビリテーション治療を受けることは難しい。リハビリは、まだ正当な世間の理解を受けるにいたっていない。
~中略~

 行政も、長い期間、人手だけかかってコストに見合わない治療を支援するという考えはまったくない。
都立の大きな病院、たとえば駒込病院などは専門の医師もいないし、OT、PTの療法士の数も明らかに少ないし、レベルも低い。
それは病院当局がリハビリに力を入れていないし、当局に要求もしていないからである。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P70

-c4996.jpg善光寺参道

P74
 それにもかかわらず、その(住人注;言語聴覚士)処遇は今でも最もひどい。一対一の辛抱強い訓練、それに必要な時間数は健康保険で認められていない。保険の点数だって最近までは、ほかの理学療法に比べたらはるかに低く設定されていた。
人材不足になるのは当然のことだ。
こういう技術者をどう評価し育てていくかが今問われているが、行政に声が届くまでには時間がかかるだろう。

P123
 私には、麻痺が起こってからわかったことがあった。自分では気づいていなかったが、脳梗塞の発作のずっと前から、私には衰弱の兆候があったのだ。自分では健康だと信じていたが、本当はそうではなかった。
安易な生活に慣れ、単に習慣的に過ごしていたに過ぎなかったのではないか。何よりも生きているという実感があっただろうか。
 元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ。発作はその延長線上にあった。
~中略~
 体は回復しないが、生命は回復しているという思いが私にはある。
~中略~
リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う。


タグ:多田 富雄
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