自然と向き合う [社会]
自然の恐ろしさ、そして厳しさを一番よく知っているのは自然を相手に生きてきた漁師や農家でもある。
それゆえに傷つき落ち込みもするのかもしれない。しかし同時に自然の持つ大きな可能性や魅力を知っているのも農家であり、漁師である。
漁業の再生と食の未来
結城登美雄(民俗研究家)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P242
自然保護や自然食品という言葉に含まれる、「自然はよいもの」という感覚は、自然の一面しか捉えていない。自然には今回のような、恐るべき他の他の一面がある。
ほんとうの復興
池田 清彦 (著), 養老 孟司 (著)
新潮社 (2011/06)
P13
人間と自然。
こういうふうに対立させてみると、人間と自然は相容れないものであるかのようだ。
しかし、人間は自然の中に含まれるものだ。人間もまた 自然の一つなのだから。
~中略~
私たちは誰もが自然そのままであり、当然ながら自然の本性を持っているものなのだ。
「悦ばしき知識」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
114
北極平原はまたクマの生息密度が高い地域である。ブラックベアーとブラウンベアーがいる。新しい糞はたびたび見た。明らかにブラックベアーの通る獣道のすぐわきでテントも張った。 ~中略~
夜はテントの布地一枚が外界とのバリアだ。寝ていても、風の音ひとつに心臓が高鳴ってしまうほどに緊張する。
ウイルダネス(原生自然)での緊張感は、ときには逃げ出したくなってしまうほどの恐怖感を伴う。そして、なにものにもかえ難い心の達成感がある。
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ
加藤 則芳 (著)
平凡社 (2001/01)
P92
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ (平凡社新おとな文庫)
- 作者: 加藤 則芳
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: 単行本
P47
いずれの国であれ言論が自由でマスコミが発達した国の世論は、極端から極端に走りやすい。
それは何も「今太閤から刑事被告人へ」の転落だけでなく、原発問題でも、開発問題でも同じである。公害問題から乱開発批判、自然を守れとなると、「開発すなわち悪」となってしまう。
P129
確かに環境は保護しなければならぬし、自然に帰れも結構である。だがそれは積雪五メートルという環境をあくまでも保護し、自然に帰ってその中で窒息していろということではあるまい。
環境とはあくまで人間の環境のはずで、治山・治水が必要なように、その地で二十世紀を生きるためには治雪も必要である。こういう点「暖国世論」なるものは常に雪寒国の特殊性を無視してきた。
「御時世」の研究
山本 七平 (著)
文藝春秋 (1986/05)
戦争に続いて忌まわしい話になるが、昆虫の世界にも歴(れっき)とした奴隷制度がある。一見のんびりした自然界にも血も涙もない生物間の関係があるのである。
といいたいところだが、そもそも自然界をのんびりしたものとして見るのが大いなる誤解で、静寂の中に血も涙もない死闘が繰り広げられている。昆虫の奴隷制度は、その実態をわれわれに「正直に」みせてくれる自然の姿である。
これから紹介するアリの奴隷制度は、寄生の一つのかたちである。
寄生という言葉を聞くと、前に紹介した寄生蜂やヒトの消化管に寄生するギョウチュウのように他者の体に棲みつくものを想像するが、それだけではない。寄生というのは、複数(通常は二つ)の生物の共生関係において、利益が片方に偏る場合をいう。
昆虫はすごい
丸山 宗利 (著)
光文社 (2014/8/7)
P171
これは残酷きわまりない話だが、これから見ていくように、自然は残酷なのではなく、非常で冷淡なだけである。これは人間にとっては知らないですませたい最も不快な教訓である。
われわれは認める気になれないが、自然の出来事には善も悪もなければ、残酷も親切もなく、ただひたすら無情―何の目的意識もなく、あらゆる苦しみに無関心―なのかもしれない。
遺伝子の川
リチャード ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
草思社 (2014/4/2)
P136
P213
わたしたちは自然のように、永遠に野生のままで、永遠に苦労しつづけることは望まないはずだ。わたしたちはあらゆる生きもののなかで唯一、世界を構築できる存在であり、その世界で自分自身を変革し、自然の状態を超越できる。世界のほかのものから自分たちを区別しようとする理性は強みであり、おかげでわたしたちは人間らしい道徳や礼や技術革新を生み出せる。
世界は自然であるべきだと考えることの危険性は、人間がどれほどすばらしいものをつくり出す能力をもっているか自覚するのを妨げ、まわりの世界に対する人間の責任を否定してしまうことだ。荀子は、わたしたちが理性を利用して自然な自己と自然な世界を改良し、可能なかぎり最良の人間になることを望んだ。
P214
荀子が文明の発明をめぐる物語で指摘したのは、「自然」なもののうえに築き、それを比較にならないほど改良する努力をわたしたちがつづけてきたということだ。
世界に〈ことわり〉を与えることで、それまでの、着るものがないために冬には飢え死に、すみかがないために洞窟や木のうえで暮らし、食べものを探し歩いてときには食べられる木の実が見つかるものの、毒のある木の実を食べて死ぬ場合もあった時代をあとにした。
衣服、すみか、農業の発明によって、人類は自然な世界を飼いならし、繁栄のために世界を変容させた。
もちろ、人間の介入は多くの危険な結果もまねきうる。しかし、荀子ならそうした介入から手を引こうとはせず、自分の生きる世界を自分の手でつくり出したことを自覚し、どこで失敗を犯したか気づくことで、その点を改良し、もっとうまく介入し、うまく技術革新し、うまくつくり出すことだろう。
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