善意の諜略 [言葉]
(住人注:重度の麻痺で苦しんでいる私に)紹介してくれた中には、いろいろな健康食品や民間療法があったが、中には科学とはいえない治療法、一見していかがわしい食品もあった。
免疫を高めるという製品とか、麻痺が治るという核酸、癌を含め、万病に効くという生物製剤、酵素、エキス、万能の「気」など、こういうのが堂々と流通しているかと思うと、心が寒くなる。
昔から「鰯の頭も信心から」というが、個人的に信じているだけならいい。押しつけがましい信仰となったり、有害な風評となると穏やかではない。たとえ善意であっても、他人の生活に介入することは困る。
電話や手紙が一段落すると、今度は訪問が始まった。
~中略~
私は曲がりなりにも免疫学の専門家だ。素人の講義が間違っていることなど分かる。
相手が善意でやっているだけに、追い出すわけにもいかず、しゃべれないから苦情を言い立てることもできない。ナンセンスな話を延々と聞かされることになる。
私は民間療法を馬鹿にしているわけではない。それを医療に取り入れるために、「日本補完代替医療学会」という学術団体も組織されている。私も二〇〇五年、その学会長を務めた。
民間療法を含め、代替医療の治療効果は、個別性が高い。一人に効いたからといって、誰にも応用できるわけではない。
まして万病に効くなどと信じるわけにはいかない。薬の効果には科学的検証がなされなくてはならない。
そうした配慮のない善意の押し売りを、「善意の諜略」というそうだ。
寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P207
同僚の圧倒的多くは「EBMに反することで、百害あって一利なし」と、口を極めて患者さんを説得にかかろうとしている。ほとんど面子にかけて、という感じに近い。
ただ、多くは旗色が悪い。それはそうだろう。こっちは、昨日今日担当医になった、多くは患者さんよりはるかに年下の、どこの馬の骨だが牛の骨だが分からん医者で、そういうたとえば健康食品を勧めてくれたのは、世話になっている叔母さんとか心配してくれている甥だとか長年の親友だとかである。
患者さんがどっちの言うことを聞くか、勝敗の帰趨は見えている。
勧めてくれた人は皆、善意であり、「患者さんのためを思っている」こと、我々と同等以上であろう。科学?統計学? それがどうした。
私が、真面目だが融通の利かないレジデントと一緒に回診をしていた時、ある患者さんが「知り合いから勧められているのですが・・・・」と、複数の健康食品を出してこられた。
ちょこちょことラベルをチェックして、今飲んでおられるのはどれ? これはこれから始めるつもり? では、これとこれは続けてもらっていいでしょう、これは、放射線治療している間はやめておいた方がいいな、これを始めるのは、これこれが終ってからの方がいいでしょう。それまで腐るようなものではないですよね? てなこと言って引き揚げた。
レジデントが後で猛烈な勢いで、「先生、ああいうものが効くと、お考えですか!」
バカかおまえは。何勉強して来たんだ。効くわけないだろう。「だったら、どうして、これはいいなんておっしゃるんですか!」
ちっとはものを考えろ。中身も見ずに、全部即刻やめろ、なんて言ったら、闇に潜るだけに決まっているだろうが。
闇に潜られると悪いかというと、悪いのである。
偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)
P197
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