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共育 [教育]

 チンパンジーの子育てと比べたときに見えてくる、人間の特徴とは何だろう。
人間の場合には、明らかに母親以外も子育てをする。まず伴侶である父親が子育てをする。
それから、お祖母さんというものが子育てをする。お祖父さんも、お祖母さんほどではないかもしれないが少しは役に立っている。
そして、おじさんとかおばさんとか、兄とか姉とか、さらにはヘルパーという形で、血のつながっていない者も手助けする。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P39

-26033.jpg金剛輪寺1

 チンパンジーの子育てが、母親一人で一人ずつ育てあげて、次の子を育てる子そだてだとすると、人間の子育ては、子どもが独り立ちする前に次々と産み、手のかかる子どもたちをみんなで育てるというものだ。
 実はこのことが、人間の女性が排卵と生理の周期を隠す理由だと考えられる。
チンパンジーの女性は、排卵するとお尻がピンクに腫れる。周囲から見て明らかで、排卵を積極的にアピールしているといえる。
人間の場合、女性が排卵しているかどうか外見からはわからない。
~中略~
 だから、生物学のことばでいうと、男性はいつもメイトガーディング(配偶者防衛)いていないといけない。こういして、伴侶というものができる。
チンパンジーは見られない、人間でのみ顕著な一組の男女の強い結びつきである。
霊長類の中で、チンパンジーは(あまり正しい言い方ではないけれども)多夫多妻とか乱婚とかいわれ、特定のつがいを形成しないのに対して、人間は特定のつがいを形成するように進化してきた。なぜなら次々こどもを育てないといけないから。
~中略~

 多くの子どもを育てるために、つがいを形成することによって伴侶をつくり、さらには寿命を延ばして生殖期後の期間を延ばすことによってお祖母さんをつくり、母親以外も子育てに参加して子どもたちをみんなで育てる。そういうように人間は進化していったのだと考えることができる。
 人間の女性は、子育てという制約に由来して、一人の男性を深く愛するようにできている。人間の男性は、配偶者防衛という機制に由来して、一人の女性を深く愛するようにできている。

 キリスト教の結婚式の誓いのことばは、人間の男女の結びつきの生物学的真実をことばで表現したものだともいえる。
「健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、これを愛し、これを助け、これを敬い、死が二人を分かつときまで真心を尽くすことを誓いますか」という文言だ。
 かんたんにいうと「愛し合いますか」ということだが、その意味としては、「共同してこどもたちを育てる覚悟はありますか」とたずねているのだ。

 人間とは何か。その答えは「共育」、共に育てるということだ。共育こそが人間の子育てだし、共育こそが人間の親子関係である。
また、あとで述べるように、共育こそが教育の基礎にある。共に育てる、共に育つ。それが、「人間とは何か」ということについて、生活史や親子関係から見たときの、人間の特徴だと結論づけたい。

 

 

澤口 「ヒトを殺しちゃいけない」というのは、人類がもともともってる性質なんです。おそらくヒトがヒトに進化したときからの、500万年くらいの歴史がある性質です。
真猿類の進化からみたら4000万年ですよ。ですから南さんがおっしゃるとおり、ヒトはヒトを「殺しちゃいけない」ことを言われなくても「わかっている」べきなんです。
ロジカルな根拠なんてないですから、本来議論するようなことじゃないんですよ。それが質問になること自体、ヒトとしての500万年の歴史、真猿類としての4000万年の歴史がむしされているってことです。
~中略~

 理屈で説明はできないとしても、いろいろな面から見て「殺しちゃいけない」性質を説明する例はいくつも出てきます。
 たとえば共生戦略という考え方です。ヒトも生き物ですから、自分の遺伝子を残すことを究極的な目標としています。だとしたら、自分のライバルとか、自分の遺伝子が伝わっていない子どもを殺したりして、自分の遺伝子をばらまこうとしたって不思議ではない。
各個体は「利己的遺伝子の乗り物」にすぎないといわれるくらいですから、限りなく利己的になってもいいんです。
 でも、やっぱりよくない。というのは、群れ、社会をつくった場合、あまり利己的だと、社会的にとてもリスキーになってしまい、殺されたり追い出されたりしかねない。で、お互いに協力し合って、お互いに自分の遺伝子を残そうとする戦略、互恵的利他主義というのがでてきたんです。とくにオスどうしで。
これが共生戦略のベースの一つです。
~中略~

 こうした戦略をまっとうしようとおもったら、同じ群れの仲間は殺しちゃいけないですよね?そこで「同胞は殺すな」という性質が身につく。しかも、同じ群れの中では、自分の遺伝子が伝わっている個体が多い。元をただせば皆兄弟、親戚だ、というわけです。これで殺し合っていては、どうしようもない。自分の遺伝子を滅ぼすようなものですからね。
~中略~
(住人注;子殺しなど、同種同士の殺し合いが起きる) ですが、群れをつくる霊長類を全体としてみると、やはり共生戦略が基本です。
むしろ、群れの乗っ取りとか子殺しを避ける形で、互恵的利他主義が出てきたきらいがある。しかも、サルのメスのなかには、子殺しに対抗するカウンター戦略をとったのがいて、そういう群れでは子殺しにブレーキがかかって、より共生戦略的な関係性が生まれてきます。
伸坊 それは、どういう戦略ですか?
澤口 オスが「この子は自分の子かもしれない」と思うように仕向けるんです。
~中略~

 サルの種によって違いますが、はっきりとしたハーレム型ではない多妻型社会をつくるサルの場合、群れにはαメイルというボス的存在のオスがいます。
オス同士の力関係上、αメイルはたしかにメスと交尾するチャンスは多いのですが、それにしても交尾したメスの子どもが100%自分の子だという確証はありません。
もしかしたら、群れにいるほかの若いオスの子どもかもしれない。メスの排卵周期がわかれば、その時期のメスを支配すれば父親になれる確率はあがりますが、メスが排卵日を隠したとなると、ますます子どもの父親が誰かは不明確になってきます。
~中略~
結局、メスは排卵周期を隠すことで、オスに子どもの保護と指導の役割を与えることになりました。
父親が誰だかわからないという状況から父性らしきものが生まれた、というところが皮肉ですが・・・メスの作戦勝ちという感じです。
正確にいうと、ヒト以外の霊長類にはヒトほどはっきりと「父親」と呼べる存在はいません。しかし、父親「かもしれない」可能性から、年長のオスが若い子ザルの指導をする例はいろいろあります。
「かもしれない」戦略はサルの子殺しに歯止めをかけ、共生戦略を維持するのに役立ったであろうことは確かです。

平然と車内で化粧する脳
澤口 俊之 (著), 南 伸坊 (著)
扶桑社 (2000/09)
P166

 

 基本的に、子孫を残す役目を終えた生物というのは、集団のなかで無用の長物のはずである。だから人間以外の霊長類で、閉経後の早い時期にメスの寿命がつきるのは、たいへん納得のいく話ともいえる。
むしろ、子どもを作り終えたのに生き延びる人間のほうこそ、変っているのだ。

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊
正高 信男 (著)
中央公論新社 (2003/09)
P150


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