チンパンジーはリンゴのみにて生きるにあらず [哲学]
こういう発達検査をしていると、ほかにも面白い発見がある。一つは、積み木を積むということを教えるときに、どう積むかということまでは細かく教えていないにもかかわらず、自発的に角を合わせるということだ。
こうした調整をする行動の発現は、単純な学習理論ででは説明できない。教えていないのに、チンパンジーの側に自律的な目標があるのだろう。
もう一つ、単純な学習理論でうまく説明できないことがある。
検査では、積み木の塔が倒れたところで一回の試行が終了したと定義して、ごほうびとしてリンゴのひとかけらをあげる、というようにする。これは、次々やってもらうための工夫だ。定義によって、塔が倒れたら試行終了だから、「はい」とリンゴ片を与える。そして、ガラガラガラと積み木をかきまぜて「はい、じゃあ積んでみて」と渡す。あるいは、一個ずつ手渡して、「積んでみて」と促すわけだ。
単純な学習理論に従うならば、塔が早く倒れたほうがよい。ごほうびがもらえるわけだから、適当に積んで倒すか、あるいは2個目か3個目で倒してしまった方がいいことになる。
でも、チンパンジーたちはけっしてそうはしない。なんとか高く、高く、積もうとする。そして、もう一個載せたら倒れそうだという時点で積むのをやめる。
だから、積み木を積むという行動では、明らかに「積む」ということ自体に強化力、報酬があって、塔が倒れるのが嫌なのだ、ということがわかる。
想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P136
渡岸寺観音堂2
タグ:松沢 哲郎
コメント 0