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不殺生 [倫理]

  それほどおサルが好きな河合さん(住人注;河合雅雄)が、サルには同族を殺す性質がある、と言っています。同族同士が互いに戦って殺すのは、哺乳類ではライオンとかトラとかいう猛獣を除く とサルしかいない。
人類はサルのそういう性質を受け継いで殺し合いをするのではないかと言うんです。

 どこかで人間は、殺すことが好きなのかもしれない。人間の本能の中に、殺すことを好む本性が宿っているんじゃないかと、私は思うんで すね。
そうすると、人間が人を殺したり戦争が好きな性質は治らないということになります。しかし、治らないかもしれないからこそ、「殺してはいけ ない」という道徳が必要なのです。これは難しいことなんですが、仏教はこの戒律を第一(住人注;十善戒の不殺生)
に置いています。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P91

 

DSC_6241 (Small).JPG臼杵石仏

P95
 仏教の殺生戒でもう一つ大事なのは、人間を殺してはいけないというのはもちろんですが、人間以外の生きものを殺すのもよくない。これ も大事な思想です。
 御釈迦さんは、虫をつぶしたらいけないと思って、下を向いて歩いていたという話があります。虫にも命がある。インドでは、おおよそ動物 までは有情、つまり生命あるものと考えます。植物は無情です。
しかし仏教が中国を経由して日本まで来ると、植物まで命があると考えたん ですね。山川草木悉皆成仏というのは天台本覚論の言葉ですが、山や川にも命があると言うんですね。だから、衆生を殺してはいけない、 動物ばかりか植物の命も大事にしろというわけです。

 これは実際には無理なことです。人間は動物も植物も食べる。植物まで衆生であるとしたら、人間は生きていけない。無理なんですけど、 生きていくために必要不可欠なところ以外で余計な殺生をしてはいけない。
御釈迦さんは、植物は命ないものと考えたから、植物は食べました。動物は命あるものだから殺さない。だから御釈迦さんはベジタリアン、 菜食主義です。
~中略~

 衆生をまったく殺さずに生きるのは無理ですから、自分が生きていくために必要な殺生するのはよろしい。自分が生きていくためには、や はりお魚も食べなければなりません。お魚をいただくと、その魚の命は自分の命になる。
ですから、「いただきます」「ごちそうさまでした」と 言って、お魚の命を頂くんですよ。日本人の中に、そういうかたちで仏教が入っているんです。
 今の日本は、そういう精神がなくなってしまった。

P98
 それに比べると、キリスト教の「殺してはならない」というのは人間だけです。
生きとし生けるものは含まない。しかもよく読んでみると、殺し てはいけないのは同じ宗教を信ずる人だけです。
他の宗教を信じている人を殺せとは言っていませんが、殺してはならないとは言っていな いような気がする。「旧約聖書」を見ると、他の宗教を信じている人間を殺した話がいっぱい出てきます。

 

 

五木 たとえば、キリスト教にしても仏教にしても、殺すなかれということを説くのは、ある意味で、宗教の独壇場ですが、それを説かざるを得ないというのは、宗教というのが非常に鋭く、人間の根源的にある、存在論的な殺人意識というか、そういう悪が存在していることを、ちゃんと見抜いている。その上で、まず殺すなかれと説いているわけですからね。

仏の発見
五木 寛之 (著), 梅原 猛 (著)
平凡社 (2011/3/8)
P225


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