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念仏の教え [宗教]

 仏教には大事な二つの原理があります。
ひとつは平等ということですね。
仏教はインドで起こったのですが、インドは厳しいカースト社会ですから、このカースト社会を裏づけるヒンズー教が盛んで、人間の平等を説く仏教はインドでは根づかなかった。

 もうひとつ大事なのは、悟りを得る、煩悩の世界を超えた生き方ができるということです。
煩悩を超えた、自利利他の世界に生きることができる。

念仏の教えは密教のように悟りを自力によって得るのと違いまして、悟りを他力で得る。阿弥陀さまという極楽浄土の仏さまをお頼みすることによって、他力によって菩提を得る。
これは日本仏教のひとつの大きな流れになっています。
 浄土仏教は、特に日本において発展した仏教であるということができると思います。

梅原猛の授業 仏教
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2002/01)
P194

梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)

梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 文庫

 

 

DSC_6182 (Small).JPG臼杵石仏ホキ石仏

 五木 たとえば、念仏ということ一つにしても、念仏の発展の歴史の中で、いろんな念仏がありますよね。

 最初の念仏は「お頼み申します。お願いします」で、法然、親鸞になると、もう他力で、むこうから救われるのだから。「ああ、ありがたい。もうおまかせします」という帰依の念仏。
蓮如のときになると、往生、救われることは、むこうがもう決めてくれているのだから、はっきりと報恩感謝の念仏と言い切っているんです。ただただ、あんたたちは毎日毎日「ありがとうございます。ありがとうございます。うれしゅうございます」とこう言えばいいんだよ、というふうに変化、発展しています。
 能登のほうでは、お茶なんか出してもらうと「ああ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」と言います。これは「ありがとう」と言っていることなんです。 

仏の発見
五木 寛之 (著), 梅原 猛 (著)
平凡社 (2011/3/8)
P237

仏の発見

仏の発見

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/03/08
  • メディア: 単行本

 

 

[第三十九段] 或る人が法然上人に「念仏の最中、眠りにおかされて、お勤めを怠ることがありますが、どうしたら、このさまたげを取りのけることができましょうか。」と尋ねたところ、「目がさめている間、念仏なさい。」と答えられたのは、まことに尊いことであった。
また、「極楽往生は、確かに決まっていると思えば、一定(たしか)、決まっていないと思えば、不定だ。」と言われた。 それも尊いことだ。
さらにまた、「疑いながらも念仏すれば、それでも極楽往生する。」と言われた。これもまた尊いことだ。  

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P196

 

徒然草 (講談社文庫)

徒然草 (講談社文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: Kindle版

 

 

 

[三六] 静かな夜の明け方に、この道理(住人注;執着を持つなということ?)をよくよく考えて、そこで、私自身の心に向かって問いを発してみる。―長明よ、おまえが世俗から脱出して、山林に入りこんだのは、乱れやすい心をととのえて、仏道を修行しようがためである。それなのに、おまえは姿だけは清浄な僧になっていて、心はけがれに染まったままだ。
住む家は、まるでそのまま浄名居士維摩の方丈の小室をまねているが、そこでおまえのやっていることは、どんなに見つもったって、周利槃徳の修行にさえもかなうものではないぞ。ひょっとすると、これは、宿業のむくいとしての貧賤がおまえ自身を悩ましているのか。
あるいはまた、みだりな分別心、なまはんかな知性がこうじて、気が狂ったのか。さあ、どうだ。―こうして問いつめた時、私の心は、まったく答えることができない。答えられないのだ。
残った方法は一つ。ここにけがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ。それで終わったのだ。 )

方丈記 現代語訳付き
鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳)
角川学芸出版; 改版 (2010/11/25)
P114

 

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2010/11/25
  • メディア: 文庫

 

 

 

浄土真宗が他の仏教とくに真言密教などと異なるのは偶像を媒体としないことや、それを行すれば利益があるとも説かず、さらには加持祈祷の思想のように法には超人的な力があるとも説かない。
ただたれでも弥陀の本願によって浄土に生まれるはずだと説くのである。
その本願のありがたさへの感謝として念仏を唱えるだけで、念仏そのものに浄土に生まれる呪術性があるとも説かない。

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P110

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

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