他人と比べるな [倫理]
相対性は(相対的に)理解しやすい。しかし、相対性には、絶えずわたしたちの足をすくう要素が一つある。
わたしたちはものごとをなんでも比べたがるが、それだけでなく、比べやすいものだけを一所懸命に比べて、比べにくいものは無視する傾向がある。
予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P32
P42
相対性は人生における決断を助けてくれる。けれども、わたしたちをとんでもなく惨めな気持ちにさせることもある。
なぜだろう?
嫉妬やひがみは、自分と他人の境遇を比べるところから生じるからだ。
モーセの十戒で、”隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない”(「聖書 新共同訳」)と戒めたのも、それなりの理由があったわけだ。
P44
給料の多さと幸福感のあいだに、私たちが思っているほど強い関連がない(というより、むしろ関連は弱い)ことは、これまで繰り返し立証されている。
研究によれば、「もっとも幸福な」人々が住んでいるのは、個人所得がもっとも高い国ではないこともわかっている。
それなのに、わたしたちは、より高い給料を求めてやまない。そのほとんどはたんなる嫉妬のせいだ。
二〇世紀ののジャーナリストにして、風刺化、社会評論家、皮肉屋、自由思想家だったH・L・メンケンは言った。
いわく、給料に対する男の満足度は、(読者のみなさん、覚悟はよろしいか?)妻の姉妹の夫より多く稼いでいるかどうかで決まる。
なぜ、妻の姉妹の夫なのだろう?
それは、この比較ならぱっと目につくし、手っ取り早くできるからだ。
P49
ジェームズ(住人注:Hotornot.comという格づけ出会いサイトの創設者)は<ニューヨーク・タイムズ>紙にこう語っている。
”ボクスターの生活を送りたいとは思いません。だって、ボクスターを手に入れたら、つぎは911に乗りたくなりますからね。その911を持っている人たちが何に乗りたがっていると思います?
フェラーリですよ。
これは、わたしたちがみんな活用できる教訓だ。
人は持てば持つほどいっそう欲しくなる。唯一の解決策は、相対性の連鎖を絶つことだ。
人間は弱いもので、常に自分を他人と比較して生きています。また比較しなければ、自分がどのような位置に立っているかを自覚できないものです。
~中略~
この世にいるのが自分だけだとしたら、比較もないし、もしかしたら苦しみも生まれないかもしれません。他人がいて、それを比較する言葉があって、はじめて 自分の立っている位置を認識します。
比較ができるからこそ人類は進歩したのかもしれないし、比較こそが苦しみを生む原因なのかもしれません。
これを「比較三原則」と私は勝手に呼んでいます。
”他人と過去と親”。この三つと自分を比較してはいけないのです。
~中略~
悩みの根源が比較にあることに気づくことで、楽になれることも多いはずです。むしろそのことに気づかないままでいる方が、圧倒的に苦しい。
マイ仏教
みうらじゅん (著)
新潮社 (2011/5/14)
P172
人は自分の値打ちを測るとき、とにかく他者と比べたがる。自分が他者をどう見るかばかりでなく、他者が自分をどう思うかをひどく気にする。そんな自他の比較に一喜一憂している。
特に問題なのは、比較のものさしが、企業内のポストや社会的なステイタスである点だ。そういう肩書は、たしかに人間の”時価”を指し示しているかもしれない。しかし時価は必ずしも”真価”ではない。
人間の真価は結局、自分で自分を磨く以外にないはずだ。自ら納得できる生きかたをしたかどうかである。
そうだとすれば、自分の値打ちは自分で自分を評価するよりほかない。
評価のものさしは、あくまでも目標と成果である。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P190
禅でも、人と比較することを、「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉で戒めています。
この「妄想すること莫(なか)れ!」という強い一言を残したのは、唐代の無業(むごう)禅師という人です。
~中略~ この一言には、単に「妄想するな」というメッセージだけではなく深い意味があります。一般的には、考えても埒(らち)があかないことをクヨクヨ考えることを「妄想」と言います。
しかしここでは、二元的な考え方にとらわれるなという意味で使われているのです。「いい・悪い」「成功・失敗」というように物事を二元化して、あれこれ思い悩むなということです。
怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)
P125
人は自らの体験に優れた成果を見て、それ以外の者たちを劣ったものと見なす。
それこそが、苦しみを生む執着であると、賢者は悟る(理解する)。
自分と他人を較べて「等しい」とも、「劣っている」とも、「優れている」とも考えてはならない(それらは新たな苦しみを生むからである)。
―スッタニパータ〈最上なる思考について〉の節
反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P146
クラス会などで幸せそうな友だちをうらやましいと思う気持ちは、裏返せば、「人の不幸は蜜の味」という心理にどっぷり浸っていることになる。
たしかに、これも人の心理の一面であるのだが、なんだか自分が小さく感じないだろうか。
人と比べて、そのたびに落ち込んでいるようでは、クラス会はパスしたとしても、どこにいても、誰と会っても心穏やかではいられないはずだ。
「私たちのいろいろの問題は・・・・・比べることに端を発している場合が多いのです」
スリランカの仏教家アルボムッレ・スマナサーラはこう話している。
人の幸せを自分と比べる。自分の不幸を人と比べる。過去の幸せといまを比べる。将来の幸せ(望み)といまを比べる。理想の幸せと現実を比べる。そうすると、不幸な気持ちになってしまうことが多いのである。
精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P111
他人と自分を比べて、くよくよ思い悩み、劣等感を抱え込む人がいる。しかし、一概に「世界に一つだけの花」の歌のように、他者と比べるのは無駄というわけでもない。先に述べたように、主体性を意識し、ベンチマーク、つまり自分の居場所を確認するために他者と比べるのは有効だ。
~中略~
そこで「世界に一つだけの花」を決め込んで、他者をまったく意識しないというのもおかしい。
「世界に一つだけ」になりたかったら、ほかの花がどんな花なのかよく知ったほうがいい。差別化戦略は、逆説的だが、他者の後追い戦略をしっかり立てることで見えてくる。
~中略~
頑張っている他者のツイッターやフェイスブックのフィードを見て、やる気を出したり、やる気をなくしたりするくらいなら、見ない方がいい。
頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)
P170
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