誠に子を愛するなら [家族]
凡(そ)小児をそだつるには、もはら(専)義方のおしえをなすべし。姑息の愛をなすべからず。
義方のをしえとは、義理のただしき事を以(て)、小児の、あしき事をいましむるを云。是必(ず)後の福となる。
姑息とは、婦人の小児をそだつるは、愛にすぎて、小児の心にしたがひ、気にあふを云。是必(ず)後のわざはひとなる。
~中略~
凡(そ)子ををしゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれつつしみて、おやの教を聞てそむかず。
ここを以(て)、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、いましめを守らず、ここを以(て)、父母をあなどりて、孝の道たたず。
婦人、又はおろかなる人は、子をそだつる道をしらで、つねに子をおご(驕)らしめ、きずい(気随)なるをいましめざる故、其をごり、年の長ずるにしたがひて、いよいよます。
~中略~
いとけなき時、艱難にならへば、年たけて難苦にたへやすく、忠孝のつとめをくるしまず、病すくなく、おごりなくして、放逸ならず、よく家をたもちて、一生の間さいはいとなり、後の楽(たのしみ)多し。
~中略~
かくの如く、子をそだつるは、誠に子を愛する也。
和俗童子訓 巻之一
総論 上
養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P211
母たるもの夫(おつと)のみじかき所あしき事などをその子に語りきかせてよろこぶもの、間(まま)に有(あり)。
これは正しくその子に不孝をおしえるなり。いかんともなれば子の不孝はかならず親の不是(ふぜ)なる所を見るよりおこれり
(巻之四 教子報)
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P86
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