SSブログ

仏になろう [宗教]

  真言密教の教えの中心は即身成仏ということです。
即身成仏というのは、現実の肉体なままに仏になれるという思想です。ずいぶん大胆な考えです。肉体が汚れているという考え方はないん だ。肉体のまま仏になれる、それが即身成仏です。

~中略~
真言密教の中心仏である大日如来は宇宙の中心にいる、宇宙を支配している仏です。そして大日如来は一木一草に宿っています
人間 の中にも大日如来はいて、その大日如来と一体となることを灌頂といいます。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P20

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: 文庫

 

 

 

DSC_6192 (Small).JPG臼杵石仏ホキ石仏

P22
 最澄の天台宗は「法華経」を中心経典とする仏教です。中国の天台宗を日本に輸入したのです。天台宗は天台智顗という、隋の煬帝と 親しい坊さんですが、その人の立てた教えです。
 天台の教えを一乗の教えと言います。~略~一乗仏教とは何か。簡単にいうと、それは誰でも仏になれるという教えです。
 平安仏教より古い奈良仏教の教えでは、仏になれない人間がいるんですよ。~略~仏になれるのは限られた人で、その限られた人が一 生懸命修行して仏になれるんだというのが奈良仏教です。
ところが最澄の天台宗では、みんなが仏になれると言う。すべての人が仏性を持っている。どんな悪い人でも心の中に仏性がある。
だから 何べんも生まれ変わって、いつかは仏になれる。
 これが「法華経」の思想です。「法華経」では、御釈迦さんが龍の女に授記を与える。授記というのは、いつか必ず仏になれると証明するこ とです。

P31
  親鸞はまた、念仏の信心を一たん確定した人は等正覚だと言っています。等正覚というのは、弥勒菩薩に等しいということです。
浄土真 宗の信仰を確立した人は、弥勒と同じ位に入った。ですから、仏になったといえます。やはり浄土教もこの世において「仏になる」ことを理想 としているのです。

P32
 禅は、はっきり「仏になる」ことを目指しています。
ただ真言と違うのは、真言は肉体を重視しますが、禅は心を重視します。悟りを開けば、 そっくりそのまま仏になれるんだと言います。

P38
日蓮の思想は、本来は天台宗と同じで法華信仰を日蓮独自の思想で思想で新しく解釈したものですが、従来の法華信仰とどこが違ってい るのか。日蓮は法然の影響を受けていると思います。
 法然が念仏を観想念仏から「南無阿弥陀仏」と口で唱える念仏でよいと解釈したように、日蓮も「南無妙法蓮華経」と言えば、それで法華 信仰は十分だと言うのです。
~中略~

「法華経」の信仰の中心というのは、朝夕説法している御釈迦さんが、「自分は実は歴史上の御釈迦さんじゃない。自分はずっと昔からここ でこうして説法している釈迦だ」という。そういう永遠の釈迦、久遠の釈迦の信仰を説くのが「法華経」です。
その久遠の釈迦の教えを広める人として、地の中から湧いてくる地涌の菩薩がいます。
あたらしい「法華経」の信仰を広めるために、菩薩が地から涌いてくるんですね。地涌の菩薩の筆頭が日蓮でしょう。だから、日蓮宗も地涌 の菩薩になる、仏になるという考え方です。

P218
 仏教というものは、仏になろうとすることです。
仏になるために人間の愛執を断つという考え方は、小乗仏教と言われる釈迦仏教でも、大乗仏教でも変わらない。ただ大乗仏教には、煩悩というものの強さを認めながら。煩悩の束縛から自由になるという思想があります。
~中略~

 人間の煩悩を断ち切る道には、自力の道とか他力の道とか、いろいろあります。
自力であれば、真言宗なら即身成仏ということになり、禅宗なら悟りを開くという思想になります。
他力なら、親鸞聖人が言うように阿弥陀仏によって極楽浄土に往生できるという信仰になります。
自 力によるか、他力によるか、考え方は違いますが、いずれにしても「仏になる」という目的は同じであろうと思います。
 そのためには、六波羅蜜の徳をつけ、十善戒という戒律をまもらねばならない。

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

梅原猛の授業 仏になろう (朝日文庫)

  • 作者: 梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: 文庫

五木 ~略 「仏も昔は人なりき
我らも終には仏なり
三身仏性具せる身を
知らざりけるこそ あはれなれ」
「梁塵秘抄」の法文歌の中

仏の発見
五木 寛之 (著), 梅原 猛 (著)
平凡社 (2011/3/8)
P27

仏の発見

仏の発見

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/03/08
  • メディア: 単行本

「遮那(しゃな)は中央に座す 遮那は阿誰(だれ)の号ぞ 本(もと) 是れ 我が心王なり」(弘法大師 空海 「遍照発揮性霊集」巻第一)
【現代語訳 遮那(大日如来)が中央にまします 遮那とは誰のよび名か 本来われわれの心のこと】

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P114

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本

 

P28
仏(佛)という字は、もともと人偏(にんべん)に弗(はらう)と書きます。 つまり、人間から人間的ないっさいをとり払うこと、すなわち目覚めるということであります。世間はみな虚仮だが、しかしその世間はみな虚仮であるということに目覚めるということ、それだけが最後に人間に残されているというのです。~中略~
釈迦のことを仏陀と申しますが、仏陀とは「目覚めた者」という意味です。釈迦は何も新しいことを知ったのでも、得たのでもない。でれまでの自分、その自分はまちがっていたということに気づいたのです。
 つまり、釈迦は法に目覚めたのであるます。

P31
「覚悟」ということばがあります。しかし本来は覚も悟も同じ意味です。すなわち、目覚めるということです。~中略~
 ところで、「悟」という字は、禅特有のことばと見てよろしいいですが、これは忄(りっしんべん)(心)に吾、すなわち「わが心」ということです。つまり「悟り」という意味は、わが心を見つめる、という意味に近い。

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

  • 作者: 立花 大亀
  • 出版社/メーカー: 里文出版
  • 発売日: 2011/03/15
  • メディア: 単行本

「経論(きょうろん)」(仏教の教えを記した「経」とその注釈書「論」)によれば、「仏は覚り(悟り)であり、覚りは一切衆生(いっさいしゅじょう)(生きとし生けるもの)の迷いを解き放つ」という。
迷いがなくなれば、「本性」(性)に立ち戻れる。その状態を「三界唯一心(さんがいゆいつしん)」という。
迷いが解けた仏の本性を「仏性(ぶっしょう)(仏になれる可能性)と呼ぶ。仏性は、天地人(三才)の本体である。
仏法の究極は、本性を知ることにつきる。仏から数えて二十八世にあたる達磨大師(だるまだいし)は、「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」(仏性を見つけて悟りを開き、仏になること)を解いた。
 ※三界唯一心 欲界・色欲界・無色界の三界で起きるあらゆる現象は、心の働きによってのみ存在し、心がつくりだしたものであって、心を離れては存在しないとする思想。
 ※仏性 「涅槃(ねはん)経」は、「生きとし生けるものは、すべて生まれながらにして仏になる素質を持っている」と説いている。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P202


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント