富士山 [言葉]
そういうわけで、古くから日本人は富士山を、火の山、煙の山と考えていた。そのこと証拠が、有名な「竹取物語」のエンディングに出てくる。
かぐや姫が月へ帰ってしまって、物語は次のようなエピソードをもって終わるのだ。
帝は、月に戻るかぐや姫がくれた不老不死の薬を、かぐや姫にあてた手紙とともに、天にいちばん近い山で燃やすように命じた。その使いをした調石笠(つきのいわかき)は多くの武士をつれてそこへ行ったので、その山は「士(さむらい)の富む山」つまり富士山と呼ばれた。そして今も煙が絶えないのだ。
これは、有栖川宮家伝来本「竹取物語」の終わり方である。この話にはひっかけがあり、不死の薬を焼くから不死山なのかな、と思わせておいて、士の富む山だから富士山、とオチがつけられている。
しかし、富士山が煙をはく山でなければこういうストーリーは生まれるはずがなく、この話はその山が活火山であることの証拠になるのである。
どうころんでも社会科
清水 義範 (著),西原 理恵子 (イラスト)
講談社 (1998/11)
P225
P226
士の富む山だから富士山とか、不死の薬を燃やしたから不死山、というのは、言葉遊びである。私は、二つとない山、で不二山なのかな、と思ったりしたが、どうもそれもこじつけっぽい。
研究してみると、意外なことがわかった。
まだ、これが正解と確定しているわけではなく、いろいろな説があるのだが、いちばん有力な説はこうである。
フジ、もしくはフチ、というのは、アイヌ語で、火のことなのだ。フチの山、というのは、火の山、という意味であり、火山だからこその名前なのである。
しかし、納得できないこともある。
なぜ富士山に浅間(せんげん)神社があるのだろう、というのが、私の疑問である。
~中略~
しかし、浅間は、あさま、とも読めるわけだ。そうすればどうしたって思い出すのが、群馬県と長野県の県境にある浅間山(あさまやま)である。それから、長野県松本市にある浅間温泉も思い浮かぶ。
そして、なぜ富士山は浅間山じゃないのに、浅間神社なんだろう、と不思議に思うところである。
浅間神社は、今でこそ、せんげん、と読むのが普通だが、もとは、あさま、だったと思われるのだから。
そもそも、あさま、とは何なのだろう。
それを調べていくと、意外なことがわかった。
その語源は、マレー語などの、南方民族の言葉らしい。アサッ、という語があり、それが煙を意味するのだそうだ。
阿蘇山や足柄山も同語源であるらしい。
あさま、には、火山のイメージがあるということだ。
そういうわけで、富士山を神として信仰すれば、あさま神社になるのだ。後にそれが、せんげん神社と読まれるようになったわけである。
コメント 0