So-net無料ブログ作成

内と外 [日本(人)]

 遠慮の有無は、日本人が内と外という言葉で人間関係の種類を区別する場合の目安となる。
遠慮がない身内は文字通り内であるが、遠慮のある義理の関係は外である。
しかしまた義理の関係や知人を内の者と見なし、それ以外の遠慮を働かす必要のない無縁の他人の世界を外と見なすこともある。
いずれにせよ内と外を区別する目安は遠慮の有無である。

「甘え」の構造 [増補普及版]
土居 健郎 (著)
弘文堂; 増補普及版 (2007/5/15)
P62

IMG_3874 (Small).JPG高松

P63
 いま遠慮が働く人間関係を中間帯とすると、その内側には遠慮がない身内の世界、その外側には遠慮を働かす必要のない他人の世界が位置することになろう。

 いにしへ、もろこしにて、小児十歳になれば、外に出して昼夜師に随ひ、学問所にをらしめ、常に父母の家にをかず。
古人、此法深き意(こころ)あり。いかんとなれば、小児、つねに父母のそばに居て、恩愛にならへば、愛をたのみ、恩になれて、日々にあまえ、きずいになり、艱苦のつとめなくして、いたずらに時日をすごし、教行はれず。
~中略~
故に父母のそばをはなれ、昼夜外に出て、をしえを師にうけしめ、学友に交はらしむれば、おごり、おこたりなく、知慧日々に明らかに、行儀日々正しくなる。

和俗童子訓 巻之二 
総論 下

養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P233

P19
 日本人というのは、何か集まりができますと、「内の者」か。「外の者」かというのを、ものすごく大事にするんです。だから、学校の先生なんかは「うちの学校では」とよく言うでしょ。「うちの学校はこうしよう」というふうに言うときは、「よそ者は放っとけ」とみんな思っているわけです。
~中略~
 ただし、「うちは・・・」と言うときにおもしろいのは、この「内」がものすごく広くなるときがあるんですね。
「われわれ日本人は」と言ったら、それはもう日本全体のことを一つと考えているわけで、外国の人が来ても、僕らは「外人」という言い方をしますね。
外国の人は、これをすごくいやがります。「”外人”」と言われると、何か外へ放り出されたような気がする」と。

P24
日本では、ほとんどのことが満場一致で決まります。これは欧米の社会ではものすごく考えにくいことです。これはどういうことかと言うと、日本人は「内」の者はみんな一緒に行動をしていないとこわいわけです。そういう2000年にも及長い歴史を僕らはもっていますので、そう簡単に変わるものではないわけです。

P33
 ある中学校の先生で、こういうことを言われた方があります。「先生、もう善意と熱意だけでは役に立たない時代になりました」と。
これはどういうことかと言うと、昔は今までの日本式の方法で「よし、ひとつ頑張ろうやないか。先生も頑張るから一緒にやろう」と言ったら、みんな頑張ったわけです。
~中略~
いままでの考え方からすると「ここまで俺が熱心になっているのに、いったい何を考えているんだ。もう、あんな奴放っておけ」ということになる。「放っておけ」というのはどういうことかと言うと、「あいつはよそ者だ」ということです。「もううちの者じゃない」。
そして「うちの者じゃない」と思った途端に、先生も学校も一気に冷たくなります。

河合隼雄のカウンセリング講座
河合 隼雄 (著)
創元社 (2000/06)

 日本で取材を重ねるなかで、最も驚いたことが記者クラブという組織の存在だった。外国人記者である私を、日本銀行や各省庁、官邸での記者会見から排斥する。
新聞、テレビなどの大手メディアの記者たちは、記者クラブを拠点として難く団結していた。
同じジャーナリストであるはずなのに、外国人記者である私を”仲間”とは思いたくなかったようだ。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)
P4


他人をバカにするような言葉をその当人に向かって吐いたなら、親は「なんてことをいうんだ!」と強く叱るべきでしょう。しかし、大人が赤提灯で上司の悪口をいうのは、そんなにいけないことではありません。
 ですから、子供が友達に対して優越感を抱いているなら、自己愛を支えてやる意味でも、その気持ちは受け入れてあげていいのです。
その代り、同じ言葉を当人に向かってぶつけたり、学校などで口にしてはいけないことを教えればいいのです。
 そうすれば、子供は人間には「本音」と「建前」というものがあり、相手や状況によってそれを使い分けなければいけないことが分かります。
逆に、親も子供の前で本音を隠して建前しかいわないような家庭で育つと、子供は「本音」というものの存在さえよくわからなくなりかねません。
 そうなると、自分の中で本音と建前の区別をつけることもできず、ましてや他人の本音を読むこともできない。その結果、恋人や親友とも本音のコミュニケーションができなくなってしまうのです。

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門
和田 秀樹 (著)
青春出版社 (2015/4/16)
P123


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント