核家族 [家族]
核家族、という言葉がよく使われるようになったのは一九七〇年代くらいからだっただろうか。そのことばの意味は、一組の夫婦と未婚の子供からなる家族、ということである。
つまり、結婚した時にそれまで育てられた親の家から出て、夫婦で新しく家族を作っていく風潮が強くなってきて、この言葉が注目されるようになった。
たとえば、日本では、第二次大戦の前までは、その家の長男だったりすれば、結婚しても親の家に住み、生まれた子には、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが家にいるのが普通という具合だった。だから核家族はそう多くはなかった(長子以外の子は核家族化しやすかったか)。
なんと言っても核家族が急激に一般化したのは戦後のことである。
ところで、この核家族という言葉を提唱したのは、今世紀のアメリカの文化人類学者、G・P・マードックだそうである。彼はそういう基本的家族単位を核家族(nuclear family)と名づけ、それはどのような社会にも普遍的に存在すると主張した。いつの世もある家族の原型ですがな、と言ったわけだ。
なぜ、そんなことを主張したかというと、十九世紀には、ちょっと違う考え方があったからだ。
十九世紀には社会学にも進化論の考えをあてはめるのがはやっていて、原始の時代は乱婚の大家族制、それが進んで封建制になってくると父の家を継ぐという父権家族制になり、最も進化した時に出てくるのが、一夫一婦制に基く夫婦と子の家族、という考え方が主流だったのだ。
マードックはそれに対して、別に社会が進化しなくたって、夫婦と子供の家族は家族の基本形じゃないの、と言ったわけだ。
もっとどうころんでも社会科
清水 義範 (著),西原 理恵子 (イラスト)
講談社 (1999/12)
P239
P248
つまり、最近の平均世帯人員の減少は、九人家族、十人家族というような大世帯が減ったことも原因のひとつだが、もっと大きくは、一人住まいが三倍近くにふえたことによるのである。
世帯人員一人とは何か。それは普通なら、結婚しないで独身のまま世帯を構えているケースだが、それがそんなに急増するとは思えない。増えたのは、老人の一人暮らしの分だと考えるべきだろう。
つまり、核家族化とライフサイクルの変化がここには関係している。
~中略~
考えてみれば当然のことだが、核家族化とは、老夫婦だけの世帯や、独居老人を増やすということでもあったのだ。
古い<家>のしがらみなどを引きずるのではなく、個人個人が結婚して新しい家族を作るという核家族がいちばんさっぱりしていていいよ、という考え方の人が近頃は多いと思うのだが、それは実は、最後には子は出ていってしまい、夫婦二人だけになってしまう。というやりかたである。そうなる覚悟を持っていないといけないのです。
P249
古いタイプの大家族制では、経済の中心のところに戸主がいる。戸主は家族全員を食べさせる義務を負うが、家族のメンバーを無償の労働力として使うことができた。子供だってある年齢になったら家の仕事を手伝うのが当然、というふうだったのである。 そしてこのことは、所得に低い人が多い貧しい国で、子供が多いということの原因になっている。
~中略~
ところが、経済成長して、子供の労働力をあてにしなくていい社会では、子供の数が減るという、少子化がおこる。
~中略~
核家族では、親と子しかいないから、閉鎖的であり、体験が貧弱である。お祖母ちゃんや叔父ちゃんや年の離れたお姉ちゃんなどがうようよいる家族のほうが、子供が多くのことを教育され、躾もいき届く、という考え方がある。親と子だけの家族では教育の能力が低下するというのだ。
でも、もう核家族というやり方が普通になってしまっているわけだ。そのやり方でうまくやっていくしかないであろう。
P254
かっての大家族制の中で、しかも子供が七人も八人もいるというような時代には、親だって我が子にそうかまってはいられなかった。もちろん子に対する愛はあったろうが、常に目が届いているわけではない。
~中略~
だから昔は、親子関係も、べったりと全面的に甘えあうものではなかった。
ところが今は核家族である。子供は一人か二人しかいないのがふつうだ。
そこでは、親子の親和力がこの上ないほどに強くなる。何をやるにも親子べったりの関係なのだ。親子が人生を楽しむ共同体になっていく。そのせいで、親の教育力も低下する。つまり、仲間同士親子なので。
そして、親は親離れが、子は子離れがしにくくなる。あんなに固く結びついた親子の絆がどうして切れるものでしょう、ということになるのだ。
核家族の単位は小さく、その内部で完結していて、外からの影響を受けにくい。気心の知れた親子だけの、安心して甘えられる世界である。他から刺激を受けて成長することも少ない。
~中略~
そういうわけで、核家族は快適なのだが、成長力に欠けるのだ。親と子の、甘えを許しあう関係でありすぎて、小集団の平和に慣れてしまう。
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