学問 [学問]
学問は「思う」の一字につきており、人心の知覚(思う)は無限の広さをもっており、この知覚を押しひろげれば全世界のことがすべて心に入ってくる。思うてその筋を会得すれば世界中の理は、みな自分のものとなるのである。
日本の名著三〇の「沼山対話」より改変
横井小楠―維新の青写真を描いた男
徳永 洋 (著)
新潮社 (2005/01)
P134
日本で初めて解剖をしてみたのは、山脇東洋という漢方医でした。一七五四年(宝暦4年)、場所は京都の壬生で、解剖されたのは屈嘉という名前の死刑囚でした。
~中略~
一歳年下にフランクリン、二歳下にリンネがいる、そういう時代の人です。
山脇東洋は漢方医でしたが、漢方の中でも古方と呼ばれる流派でした。古方は、自分の観察や経験を重んじる流派だったそうですが、東洋が影響を受けた徂徠がはじめた学問が、古文辞学という「温故知新」の学問だったことと思い合わせてみると、時代の常識を超えるコツは「昔に遡る」ことだというのがわかります。
何故学問が始まるかといったら、それは興味から始まる。つまり面白いと思うところから始まるのだ、というのが私の考えです。
始まりのところには、必ず生き生きとした興味本位があったはずなんですね。
~中略~
面白がるためには、興味を持つためには、知らないといけない。ナゾの解ける快感ていうのはナゾの解けない悩みのあとじゃなきゃやってこないんです。
(住人注;南 伸坊)
解剖学個人授業
養老 孟司 (著), 南 伸坊 (著)
新潮社 (1998/04)
P44
学問の道は誠意のみ。
(「師門問辨録」)
山田方谷のことば―素読用
山田方谷に学ぶ会 (編集)
登龍館 (2007/07)
P13
学問をするのに、簡単な道などはない。だから、ただ学問の厳しい山を登る苦労をいとわないものだけが、輝かしい絶頂を極める希望をもつのだ。
超訳『資本論』
的場 昭弘 (著)
祥伝社 (2008/4/23)
P46
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【横井小楠】(一八〇九~一八六九)―学問―
学問を致すに、知ると合点との異なる処、ござ候
横井小楠は幕末維新期の熊本藩士、坂本龍馬は偉く見えるが、その思想はこの横井小楠と勝海舟の受け売り。当時、横井ほどの見識人はいなかった。
幕府の臣であった勝海舟は〈おれは、今までに添窩で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ〉といい<横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまで>
幕府は滅亡と見ていたが、果たしてその通りになった(「氷川清話」)。
日本人の叡智
磯田 道史 (著)
新潮社 (2011/04)
P92
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