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清浄な仏国土の建設 [宗教]

   リッチャヴィの若者たちはブッダに最上の敬意を表したのち、おのおのが手にした七宝の傘をうやうやしくブッダにささげます。
すると威神力と呼ばれるブッダの法力によって、一瞬のうちに五百本の七宝の傘はただ一個の巨大な傘となり、あらゆる世界(三千大世界)をもとの大きさのままで、すべて覆ってしまいます。

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
P33  

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緒方宮迫石仏

P34
「維摩経」にかぎらず、すべての大乗仏教経典においては、いまの私たちの観念からすれば、奇跡的、あるいは不思議な出来事がよく説かれます。
この場合、それらをそのまま「ブッダの神通力によって示された奇跡」としてとらえるとしたら、その経典の教えはまったく理解できません。
一見すると不思議な出来事があっても、それがなにを表すか、それによって経典作者がなにを言おうとしているのか、と考えるのが大乗仏教経典を理解する第一歩です。

P36
 一つの傘の中に、この全世界が表し出されたということについて、聖徳太子作といわれる「維摩経義疏」は「如来の慈悲があまねくすべての世界に生きている人々をつつみこむこと」と注釈しています。
~中略~
 この傘の比喩には、もう一つ重要な意味があることを見落としてはならないと思います。それは、「維摩経」のうちで、いま読んでいるのが「仏国品」という章で、「清浄な仏国土の建設」ということが当面のテーマであって、このテーマとの関連で傘の比喩を考えなければならない、ということです。
 すべての人々が民族・部族・宗教などのちがいや対立をこえて、ただ一本の傘のもとに「共生」することのできる社会、それが「維摩経」の説く「ブッダの清浄な仏国土」であるといってよいと思います。

P47
菩薩の清浄な仏国土とは、大乗仏教の利他行が行われる場であり、経典によれば、直心(じきしん)・深心(じんしん)・菩提心などをおこして利他の行を積み、衆生が完全なものとなれば、仏国土そのものが浄らかになります。
仏国土が浄らかになるにしたがって、説法・智慧が浄らかになり、智慧が浄らかになるにしたがって、その心が浄らかになり、心が浄らかになるにしたがって、一切の功徳が浄らかになります。そこで、 

  是の故に、宝積よ、若し菩薩にして浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄むべし。
 其の心の浄きに随いて、即ち仏土浄し。

愛する母よ、地上を歩きながら、約束の地をどこか遠くに求め、あなたこそが今ここに存在する不思議に満ちた浄土であることを知らない人たちもいます。神の王国が自分自身の心の中にあることも見えません。
彼らには、心が静かで安らいでいれば、自分が今歩いているその大地がそのまま浄土になるということが理解できないのです。
 私たちは、洞察と心安らかでマインドフルに今ここにとどまる実践のおかげで、この浄土の上で毎日遊び楽しむことができます。神の王国を手にした私たちは、それをほかに求めることはありません。

大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P24


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