植福の説 [倫理]
有福、惜福、分福、いずれも皆好い事であるが、それらに優って卓越している好い事は植福という事である。
植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や智識を寄与する事をいうのである。
即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。
努力論
幸田 露伴 (著)
岩波書店; 改版 (2001/7/16)
P80
~中略~
有福は祖先の庇蔭に寄るので、尊むべきところはない。惜福の工夫あるに至って、人やや尚ぶべしである。分福の工夫を能くするに至って、人いよいよ尚ぶべしである。福を有する人はあるいは福を失うことあらん。
福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん。能く福を分つ人はけだし福を致すを得ん。福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉。
(明治四十四年一月)
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