モンロー主義 [国際社会]
英国人のマッキンダーは、主として西欧にたいするユーラシア大陸のランド・パワーの脅威という観点から、その対処策を論じた。
が、アメリカの場合は、さらに直接的に海をへだてて相対する大陸アジアの勢力にたいしても、同時に警戒しなければならなくなった。
それで、アメリカ独特のモンロー主義という地政学的な理論は、最初は新大陸にたいする旧大陸の政治的干渉を排除することから出発したが、やがて世紀の変りめ頃から、東半球の勢力に対抗して西半球、つまり南北両アメリカの自主性をいかにして保つか、という新しい命題に対処することを迫られるようになった。
地政学入門―外交戦略の政治学
曽村 保信 (著)
中央公論社 (1984/01)
P141
司馬 例えばアメリカのような太平洋の向こうの国もその手(住人注;世界をあげての帝国主義時代の雄大な)で構想してくる。ペリーが、来た。江戸湾頭に来る前に、沖縄に寄りますね。
東洋艦隊を率いて那覇港に入って、彼が東アジアの地勢をつくづく見て、ぜひこの沖縄を占領して貯炭所にしようと租借を申し出る。アメリカ本国に対しても、沖縄は大事であるという報告書を送っておりますね。
海音寺 貯炭所はつくってるんですよ、那覇港に隣接した泊港に。
司馬 それで租借しようとして、そういうことが、アメリカが太平洋を見た時に自然に起る戦略なんですね。
海音寺 沖縄は戦略的に重要なところで、これが沖縄の悲劇の始まりですよ。
新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P199
嘉永六(一八五三)年江戸湾において幕府を脅しあげて開国をせまったペリーとその米国東洋艦隊が、「来年、もう一度くるからそれまでに返答をせよ」と言いのこしていったん上海にむかって去ったとき、途中、この海中にそびえる西表島に目をつけ、島影に投錨しているのである。 艦隊にR・G・ジョーンズという技師が乗り組んでいたが、この技師が上陸して地質調査をしたところ、石炭が豊富であることがわかった。
街道をゆく (6)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/12)
P119
コメント 0