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日本人は近代的熟成したか [日本(人)]

  司馬 前略~
 大久保は有司独裁制を唱えた。「民権もわからんことはないが、しかし日本人にはまだ早い。まず制度を整え、教育をさかんにし、民度をレベル・アップすることだ。
レベル・アップしてから民権に移るべきで、それまではいわわ培養期である。培養期は有識者である官僚が国家権力をどんどん行使して国家そのものの塑型をつくりあげねばならん。だからそれまでは民権どころか、在野異論というものはいかん。そんなものには鉄槌をくだす」というのが大久保の政治的立場でございますね。
~中略~
 さらに彼が民権に無理解でなかった証拠には、勝海舟の「氷川清話」に、「大久保とわしは話をして、明治三十二年頃になれば日本でも国会を開こうということにハラを合わせていた」とあるのですが、これが事実とすると、いや事実でしょう、大久保はそう思っていた。
結局は国会が明治二十一年でしたか、えらくそれより早期に開かれるのですが、勝は「早すぎたよ」と言っています。
 早すぎたかも知れません。なぜなら国会が開かれるや、政党は党利党略のみで、丁度こんにちの国会の原型をはやくも露呈している。

明治三十年代には小村寿太郎などは、「日本は国会によってつぶれる。政党などというのは西洋では根のある存在だが、日本の政党はフィクションなんだ。フィクションが国家の運命を握っている。
官僚はしっかりせねばならん」と言っているように、あるいは理想論からいえば大久保と勝のいうように早すぎたのかも知れません。日本人の近代的熟成を待つべきだったのかもしれません。

新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P136  

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12/14
  • メディア: 文庫

 

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【長岡護美】(一八四二~一九〇六)―雷同―

 提灯や国旗を揚げてお祭り騒ぎはしたけれど、日英同盟の何物たるか位を知らぬやうでは、真の教育はまだ出来て居ない。

~中略~
そこで彼は死刑の是非を真剣に議論するオランダの市民社会をみた。
長い海外経験から長岡は考えた。日本人の島国根性が心配だ。
例えば初等教育「元寇の時、北条時宗は元の使者を斬った」と教えそれに生徒が快哉を叫んでいる。これはまずい。拝外的で感情的な愛国心は国を誤るもとだ。 長岡はその兆候を見て〈世界的智識を養成して貰ひたい〉と懸命に提言した。昭和の戦争に突入する三〇年ほど前のことだ(「長岡雲海公伝」)。
~中略~
自分で世の物事を吟味して意見をもつ力を養う。長岡は究極の教育目標を言い当てている。

日本人の叡智
磯田 道史 (著)
新潮社 (2011/04)
P120

日本人の叡智 (新潮新書)

日本人の叡智 (新潮新書)

  • 作者: 道史, 磯田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/04/16
  • メディア: 単行本

 


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