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後悔は未来へのバネにはならない [ものの見方、考え方]

   宮本武蔵対佐々木小次郎の、この決闘は慶長十七年(一六一二)四月十三日に関門海峡の巌流島(むかしは船島とも向島とも言った)で、実際に行われた。
いまは小倉郊外の、海峡を見下ろすすばらしい眺めの手向山に武蔵と小次郎の碑が仲良く建ち、この日に武蔵・小次郎祭が賑やかに行われている。~略  「いずれの道にも、わかれをかなしまず」「世々の道に背くことなし」などと、「五輪書」「独行道」などの著書で名言を数々残している武蔵であるが、なかでも有名なのは、
「我事において後悔せず」
 これを「われ事において」と読んで、自分のした一つ一つのことには後悔しない、と解する人が多く、狭小な理解じゃないかと考えているが、今回は余計な議論はやめる。
  いずれにせよ後悔は未来へのバネにはならないのである。人を奮い立たせてくれない。反省するのはいいが、後悔はほどほどがよかろうか。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P137

この国のことば

この国のことば

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本


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 人生の選択における重大な選択であればあるほど、後悔したくないために、私たちは「失敗しない選択」や「最善の選択」をするように動機づけられる(4)。
しかし、困ったことに、人生における重大な選択は、選択をする際には、何が最善であるかは不明確であることが多い。 例えば、恋愛結婚が87%を超えるわが国(5)の2015年の離婚件数は、22万6215組である(6)。個々の状況により様々な理由が考えられるが、”この人が運命の人だ”と乾坤を決意しても、数年後の自分が同じように感じられるかを予測することは難しいのである。
これは心理学の研究でも裏付けられており、「今後10年の自分の変化予測」と「過去の10年の変化の実際」を比較すると、どの年代においても、予測は実際の変化を大きく下回ることがわかっている(7)。
要するに、人は現在を過大評価するするため、未来を正確に予測して、選択するのは難しいのである。
人生の重大な選択において、多くの人が後悔しないよう、慎重に選択をするにもかかわらず、人生には後悔がつきものであるのはこのためといえよう。
 しかし、たとえ過去の自分の選択に後悔をした場合でも、人は後悔を取り戻すことができる。
100歳を超えても、ホスピスの臨床に立ち続けた日野原重明氏は、著書の中で、「いのちの長さは未知であるけれど、人生は失敗ばかり、後悔ばかりという人ほど長生きをするべきだと僕は思います。
長生きして、その失敗や後悔を、残された人生で取り戻してほしいのです」と述べている(8)。
ローズらの行った大学生を対象にした心理学的研究(9)では、様々な否定的な感情(例えば、怒り、不安、退屈、恐怖、罪悪感など)の中で後悔は最もポジティブな機能をもつと評価されている。
後悔をしても、今後の失敗を避けようと行動を改善できたり、物事に取り掛かるときの洞察力が高まったり、人々が将来をよりよくするための役に立っているというのである。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P152



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