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エビス [日本(人)]

 エビスという言葉がある。夷の字を書くことが多いが、蝦夷とも書いた。そして、古くはエミシとよぶことが多かったようで、蘇我蝦夷という人の名はソガノエミシとよんでいる。 

日本文化の形成
宮本 常一 (著)
講談社 (2005/7/9)
P8   

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P25
 東国から東北にかけてはまだ農耕にしたがず、縄文文化時代以来の狩猟・採取をしていた人びとの多かったことを、この記述(住人注;日本書紀)を通して知ることができる。
そしてこの人びとの住むところを日高見(ひたかみ)の国といった。
 その強いことと、農耕にしたがわないことから、大和朝廷成立後はむしろ夷は異端視されるようになったと見てよいようである。
 それでは、エビスというのは東北地方にだけいたものであろうかというに、そうでもなかったようで、西日本にも、大和のあたりにもエビスはいたようである。

P27
 このようなことから考えあわせてみると、古くから日本列島に住んでいて、狩猟や漁撈にしたがっている人びとがエビスとよばれたのではなかったかと思う。
そうして、そののちに日本列島を統一し、支配した民族とよく接触したエビスたちは、自分たちの統率者を神としてまつったが、大和朝廷の支配者たちと比較的接触の少なかった東北のエビスたちは、エビスという言葉が、未開を意味するようにとられるにいたったのであろう。

P246
(住人注;評論家の松本健一氏の2003年の講演によると)征夷大将軍は「夷を征伐する軍人たちの総指揮官」という意味である。
 問題はその「夷」であった。
 「夷」という漢字を分解すると「一」と「弓」と「人」となる。これは「手を一杯広げて弓を引いている人」つまり「狩猟する人」を意味するという。古く中国で「東夷」という言葉があった。それは東にいる野蛮な民族「日本列島に住む人々」を指していたという
中国から見れば日本列島に住む人々は野蛮な狩猟をする民だあったのだ。

P49
 桓武天皇はこの夷を恐れた。
 そのため、長岡京へ遷都したその年に、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を初代の征夷大将軍に任じた。
役目はその名前の通り「夷を征伐する」大将であった。桓武天皇は夷を恐れ、その夷を征伐する武士軍団を東北の地へ送り込んだ。
 さらに、長岡京への侵入口の逢坂峠を恐れた。その逢坂を「鬼門」とし、逢坂の隣の比叡山に延暦寺を創建し、僧侶集団を配置した。それ以降、延暦寺の僧侶たちは武力を備え、逢坂から京へ侵入する者を監視し、京を守ることとなった。

日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 (著)
PHP研究所 (2013/10/3)


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