過量な剛気を制御するために学問がある [学問]
社会が発生してからというものは、社会を組むことによって食物を得、食物を得るために社会をもち、それを維持し、さらにはまたその秩序に適合するように人間たがいたがいを馴致しあってきた。
そのなかでもっともよく馴致された人間を好人物としてきたことは、どの人種のどの社会でもかわらない。(住人注;晋作の父)高杉小忠太は人間の猛獣性を「剛気」とよぶ。その「剛気がもし平均以上に過量になったばあいはそれをおさえねばならぬ。
おさえるのが人の道である。おさえるために学問(倫理)というものがある」と、いう。
そういう人物が尊い、と小忠太は言いつづける。あるいはそうであろう。
平均的人間がときに猛獣になるのは社会が飢えたときだが、社会が飢えないかぎりその社会の秩序に従順であることが社会の維持と繁栄に役立ち、小忠太のいう「その中庸的人物こそ偉大である」ということになるであろう。
世に棲む日日〈2〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P197
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