自らの文化に自信のない民族 [日本(人)]
海音寺 前略~
自信を持たなければいけない。自らの文化に自信のない民族は、いかに経済的繁栄しようと、品位に欠けます。それでは一流の民族とはいえません。
司馬 中国人は世界のどこのはしにいても自分が中国人であることに自信をもっていますね。
気負いたつことなく単独で平然としてもっている。英国人なども、単独にどの土地に住んでいても、よかれあしかれ、英国という人間文化のすべてを背負って平然としていますね。それが人間としての威厳になるのでしょう。
戦前の日本人は国家を背負いすぎてきた。~中略~
「日本国はエライ」とそういうことで出来る自信じゃなくて、自分の民族と文化についての正しい認識からうまれた毅然としたものが、日本人になければならない。
でなければ薄よごれたポンチ絵
のような日本人像からぬけだせませんですね。
新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P244
P236
日本は恐ろしい侵略国であった、などというフィクションを信じこまされているから、日本人自ら「自分達は一人一人はよいのに集団になると暴走しやすい危険な民族である」と自己否定してしまい、自己の防衛にすら及び腰になるのです。そして何より、明治以降を占領軍と日教組の都合に合わせて否定されたままにしておいては、いかに江戸期までに素晴らしい文明を創り上げた日本があっても、祖国への誇りを持ちにくいからです。
歴史の断絶とは故郷の喪失のようなもので、祖国へのアイデンティティ―喪失につながるのです。
それでは日本文明を特徴づける価値観とはどんなものであったのでしょうか。
一つは、欧米人が自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は秩序とか和の精神を上位におくことです。
日本人は中世の頃から自由とは身勝手と見なしてきましたし、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていました。
自分のためより公のためにつくすことのほうが美しいと思っていました。従って個人がいつも競い合い、激しく自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の生き方が美しいと考えてきました。
P40
大森貝塚を発掘したアメリカ人モースも、「貧乏人は存在するが貧困は存在しない」と言ったのです。欧米では一般に裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落など絶望的な境遇を意味していました。だから、この国ではまったくそうでないことに驚いたのです。
明治六年に来日しそのまま三十八年間も日本に暮し屈指の日本研究者となったイギリス人バジル・チェンバレンはこう記しています。
「この国のあらゆる社会階級は比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
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